デザインの方向性さえ間違えなければ名車と呼ばれる資格があった
クルマの世界で2代続けてヒットモデルを出すというのは至難の業だ。大ヒットモデルの2代目は、どういうわけか肝心な部分でコンセプトをキープできず、セールス的に失敗することが多い。
その典型的な例のひとつが日産シルビアのS13からS14へのモデルチェンジだった。S13シルビアは1987年にAE86が生産終了になったあと、国産唯一のFRスペシャリティカーとして1988年に登場。従来にないイタリアンチックなスタイリッシュなボディにターボエンジンと軽量なボディ、そして安価な価格で、バリバリの走り屋からデートカーを求める軟派なユーザーまで幅広く虜にし、国内で約30万台という販売実績を記録する大ヒットカーになった。
S13シルビアの大ヒットのカギは、軽くて、ターボで、FRだったこと。日産も次期シルビアを作るに当たって、この3つのポイントは外さなかった。しかし、1993年に発表されたS14シルビアを見て、多くのクルマ好きはこう思った。
「そうじゃないんだよ……」。
S14シルビアの開発コンセプトは、「意のままに楽しい走りとセンスの良さを徹底追及したスタイリッシュスポーツクーペ」だったが、S14のボディを見て、スタイリッシュだと思った人は少数派であった。
シルビア初の3ナンバーモデル
S13に比べ全長は30mm伸びて、全幅はプラス40mmの1730mmまで拡大し、3ナンバーサイズになってしまった。メーカーはワイド&ローを強調したと胸を張ったが、ユーザーとしては「誰がボディを大きくしろと言ったんだ?」というのが正直な感想だった。
ボディが大きいだけならともかく、顔はおとなしく、ボディ全体は丸くなって締まりがない。さらにクォーターウインドウが大きく、リヤガラスが湾曲していてかなり横まで回り込んできているのが正直かっこ悪かった……。
スポーツカーはグリーンハウス(ボディの窓下線より上の屋根回り)が小さいほどカッコよく見えるというのは、カーデザイナーの常識。そのセオリーに反してS14を市場に出したということは、デザイナー以外の意見が優先されたと推察できる。
日産は1995年に登場させたR33GT-Rでも同じ路線で進むので、ボディ拡大路線を唱える権限が強かったのだろう。
機械的にはポジティブな進化を遂げていた
振り返ってみると、日産は1987年3月期決算で上場以来初の営業赤字に転落している。バブル期はシーマなどの高級車が売れてひと息つき持ち直すが、バブル崩壊後は不動産や株式を売却したり、デザイン部のリストラを進めた……。
つまりデザイン部門が弱体化し、技術畑より経営系、あるいは外部の銀行などの発言力が増してきた時期と重なってくる。その結果がまさに形になって表れたのが、S14シルビアともいえるが、そのスタイルはともかく、機械的にはポジティブな進化を遂げていた。
シャシーもエンジンも、基本的には先代のS13からキャリーオーバーしたものだが、ボディ剛性は大きく向上。S13に比べ、曲げ剛性で約200%、捻り剛性で約150%と大幅に強化され、全体的な安定感が段違いに。
サスペンションも形式こそ、フロント=ストラット、リヤ=マルチリンクとS13と同じだが、サスペンションストロークは増えていて、ジオメトリーも改良。とくにリヤサスペンションは大きく見直され、動きがよくなり、接地性が向上している。FRスポーツの命ともいえるトラクション性能もワンランク上になった。
エンジンは、S13の後期型と同じくSR20が搭載されたが、S14からは、NAにもターボにも可変バルブタイミングシステムのNVCSを採用。低速から高速まで全域でトルクが大きくなり、ドライバビリティが向上している。
ターボエンジンは、レスポンスのいいボールベアリングタービンになり、コンプレッサーハウジングも最適化されたことで、パワーがプラス15psの220psにアップ。マフラーも大容量化されている。
またNAもハイオク仕様になり、最高出力が20psもアップ(160ps)している。そのほか過給圧電子制御システムや、8カウンターウエイトシャフト、ベアリングビームアルミディープスカートブロックなども新たに採用。エンジンの剛性自体も高まった。ブレーキ容量もアップされ、ターボ車には対向ピストンキャリパーも標準化した。
このようにハードだけ見ると、モデルチェンジ効果はプラスが大きく目立つのだが、スポーツカーはデザインも命という視点が欠けていたのが、S14シルビアの残念なところ。マイナーチェンジでライトをツリ目にして、少しワイルドさを加えたが、メイク(化粧)でごまかされるユーザーは少なく、そうこうしているうちに時代はRVブームに……。
今思うと、S13からS15に一気にジャンプしていれば、シルビアファンを引き留めることができていたかもしれない。
なお日産は、1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え経営危機になり、1999年3月にルノーと資本提携。カルロス・ゴーンがCEOとして送り込まれたのはご存じの通り。S14はそうした日産最大のピンチの時期に生まれたクルマだったわけだが、クルマとしてのできは決して悪くはない。デザインの方向性さえ間違えなければ、名車と呼ばれる資格があった一台だったはずだ。