「カイエン」より半世紀前に作られていた「オフロードのポルシェ」
オンロードはもちろん、オフロードまでオールマイティにこなすポルシェのドル箱SUV、「カイエン」がデビューするより半世紀以上も前のこと。ポルシェは「タイプ597ヤクトワーゲン」という名の4WDオフローダーを作った。ドイツ連邦軍(西ドイツ軍)に向けて開発された小型車両で、当然ながら後のカイエンのような「高級・快適」とは無縁の軍用車だ。スポーツカー・メーカーとして知られるポルシェが「356」のコンポーネンツをベースに作った「ヤクトワーゲン」の知られざるストーリーを紹介しよう。
大戦中は軍用車両でも名を馳せていたポルシェ博士
自分の理想とするクルマ作りを目指したフェルディナンド・ポルシェが息子のフェリー・ポルシェ、そして数多くの盟友らとともに満を持して自らの会社「名誉工学博士フェルディナンド・ポルシェ有限会社・エンジンおよび自動車製造における設計およびコンサルティング」をシュツットガルトに立ち上げたのは1930年の暮れ。登記上の正式な会社設立は1931年4月である。
その後、アウトウニオンのGPマシンやフォルクスワーゲンを生み出し、戦後の1948年にはついに自身の名を冠したスポーツカー「ポルシェ356」を世に送り出す。その後のポルシェの自動車メーカーとしての輝かしい歩みは、ここで改めて記すまでもないだろう。
第二次世界大戦後の1948年、ポルシェ356をデビューさせ「自動車メーカー」としての第一歩を踏み出したポルシェだが、そのはるか以前からフェルディナンド・ポルシェ博士の多彩な才能は各方面で発揮されてきた。そのジャンルのひとつが、軍用車である。
オーストリア・ハンガリー帝国陸軍向けに開発された臼砲運搬用ハイブリッド・トラクターに始まり、とくにナチス・ドイツ政権下の第二次世界大戦時には、ポルシェの設計による数々の軍用車両が生産されている。
フォルクスワーゲンKdF(Typ60)のシャシーを利用した軽便な「キューベルワーゲン」(Typ82)や、水陸両用車の「シュビムワーゲン」(Typ166)が連絡や偵察任務で多用された。また、発電用エンジンとモーターを組み合わせた重駆逐戦車「フェルディナンド(エレファント)」、そして「マウス」や「E-100」といった超重戦車など、数々の装甲戦闘車両の開発を行ったこともよく知られている。これらのことから終戦直後、フェルディナンド・ポルシェ博士は「戦犯」として一時的に連合国側に拘束されたのもよく知られるエピソードだ。
戦後、「356」を元に仕立てた軍用車でコンペに参加
戦後、東西に分断されたドイツだが、ポルシェは西側のドイツ連邦軍に向けたいくつかの軍用車両の設計や試作も行っている。これは自動車メーカーであると同時に「設計およびコンサルティング」を生業とするポルシェならではの仕事であろう。空挺部隊用の小型装軌車両「ヴィーゼル」などはその一例だが、そのほかにも同社はいくつもの軍用車両の開発に関わっている。
今回ご紹介する「タイプ597ヤクトワーゲン」もそのひとつだ。1953年、ドイツ連邦軍がドイツ自動車工業会に対し軽便な軍用オフロード車の開発を打診。そこに手を挙げたのがアウトウニオン・グループとボルグワルド・グループ、そしてポルシェだった。
ポルシェ356のコンポーネンツを流用し4WD化したそのモデルは「ポルシェ・タイプ597」と名付けられ、1954年には22台の試作車が作られた。そのうちの最初の2台は水陸両用車としての機能も考慮され、スクリューとオールが装備されていたといわれる。空冷フラット4のリヤエンジン、スペアタイヤはフロントにマウントするなど、ご先祖のキューベルワーゲンやシュビムワーゲンと同様な構成も、その血統を思わせる。