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5億2800万円! エンツォ最後のフェラーリ「F40」は「米国仕様」も高額プレ値が!! カッコ悪いバンパーも正規の証

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2022 Courtesy of RM Sotheby's

オークションマーケットの活況を占う「F40」

 2010年代中盤以降のクラシックカー/コレクターズカー・マーケットにて「F40」や「F50」に代表されるフェラーリの「スペチアーレ」モデルたちは、価格高騰の象徴的存在であるとともに、業界全体の市況を図るバロメーター的存在ともなっている。そんな状況のもと、2022年8月中旬に北米カリフォルニア州モントレー半島一円で開催された「モントレー・カーウィーク」における最大規模のオークション、RMサザビーズ北米本社の主導による「Monterey」では複数のフェラーリF40が出品され、世界の注目を浴びることになった。

フェラーリ史上もっとも魅力的なスーパーカーのひとつ

 1947年、第一作「125 S」を引っ提げて創業したフェラーリの40周年を記念して開発されたF40は、今日でもフェラーリでもっとも魅力的で印象的なスーパーカーのひとつ。また「ドレイク(Drake)」こと伝説のエンツォ・フェラーリ自身が見守る中で開発された、最後のスーパーカーとして知られている。

 もともとFIAグループBを念頭に入れて開発されたモデルではあったが、さらにポルシェ「959」に対抗意識を抱いたエンツォ・フェラーリの命によって、「288GTO」をベースモデルとして開発された。

 グループBによるレースが棚上げとなった後にもF40の開発が続けられたことは、エンスージアストにとってありがたいことだったに違いない。フェラーリは計画をキャンセルすることなく、288GTOのサーキット向け試作モデル「エヴォルツィオーネ」をベースに、エンツォ・フェラーリの指揮下で開発された最後のスーパーカーとなる40周年記念ロードカーを新たに開発したのだ。

 F40はレースカー基準で開発された鋼管スペースフレームのシャシーに、4輪ダブルウィッシュボーン独立サスペンション、コイルオーバー式KONIショックアブソーバー、ベンチレーテッドディスクブレーキを装備していた。

 また、名匠レオナルド・フィオラヴァンティのデザインによってコーチワークされたボディは、ピニンファリーナの風洞実験によって空力的に完成。ケブラーやカーボンファイバーで編まれたパネルによって、車体重量を約20%削減すると同時に、構造剛性を3倍に向上させたという。

 288GTOに搭載されたV型8気筒「F120-040」型エンジンは、2936ccに拡大。日本のIHI製ターボチャージャー2基を組み合わせ、478psの最高出力を発生した。停止状態から時速60マイル(約96km/h)までの加速タイムは、わずか3.8秒。最高速度は、ポルシェ959やランボルギーニ「カウンタック」をしのぐ201マイル(約324km/h)に達した。

 一方、F40のエクステリアは、レーシングカー開発の原点が反映されており、軽量化されたボディに加え、インテリアにも多くの工夫が凝らされている。プラスチック複合材のレーシングシートに布張りを施し、プルストラップ式ドアリリースやドリルドペダル、パースペックス製ウインドウなどを採用し、さらなる軽量化を図った。

 1987年のフランクフルト・モーターショーで公開されたF40は、当初400台の少量生産が予定されていたが、顧客からの猛烈なアプローチに応える形で、最終的に1315台が製造されることになった。

 この記念すべきスーパーカーは、当初ヨーロッパのみで販売され、初期モデルは触媒コンバーターやアジャスタブル・サスペンションを装備していなかったのだが、1990年には、エアコンと触媒コンバーターを標準装備したUSバージョンの納車が米国で開始。1992年夏の生産終了までに、わずか213台がアメリカに届けられた。

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