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懐かしの「ラリー・ジャパン」はスバル「インプレッサ」と「ペター・ソルベルグ」の思い出がすべて! 天国と地獄を味わったスバルファンの2004年と2005年とは

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TEXT: 廣本 泉(HIROMOTO Izumi)  PHOTO: スバル/廣本 泉

2005年:圧倒的な速さを見せるも最終盤でまさかのリタイア

 このように2004年のラリー・ジャパンは、スバルの母国勝利を演じたペター・ソルベルグがファンの視線を独占していたが、2005年に開催された2回目のラリー・ジャパンでもスバル×ペターが旋風を巻き起こしていた。

 2005年のWRCはスバル、三菱、シトロエン、プジョー、フォード、シュコダと6メーカーが参戦するなど熱いシーズンだった。

 同年のラリー・ジャパンには三菱も3台のランサーWRC05を投入するなどファンの注目を集めていたが、トップ争いの主導権を握ったのは、またしてもスバル×ペターだった。インプレッサWRC2005を武器に3回のSSウインを獲得したペターは、レグ1をトップでフィニッシュするとレグ2でも5回のSSウインを獲得し、後続とのリードを拡大。2番手につけていたプジョーのマーカス・グロンホルムに30秒以上のリードを築いていたことから、ペターはレグ3で余裕のクルージングを見せていた。

 しかし、SS25でペターはレコードラインにあった石にヒットしてしまい、サスペンションを破損。2本のSSを残してリタイアすることになったのである。

 表彰台の中央でグロンホルムが勝利の美酒を味わっているそのとき、ペターはチームのホスピタリティで泣きはらしていたという。同大会では2位入賞を果たしたシトロエンのセバスチャン・ローブに続いて、スバルのセカンドドライバー、クリス・アトキンソンが3位で表彰台の一角を獲得しているが、同大会において筆者が思い出すシーンはやはり、ペターの勝利目前のリタイアで静まり返ったスバルのオペレーションルームである。

* * *

 初期のラリー・ジャパンの思い出を語るとき、おそらく多くのラリーファンが、ペターの勝利と翌年のリタイアをイメージするに違いない。2004年および2005年のラリー・ジャパンはスバル×ペターの話題に終始する大会だった。

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