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日産「チェリー」は「和製ミニ」だった!? 「カローラ」や「サニー」の肥大化を横目に「イシゴニス式」FFで小型化を実現

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 日産自動車/原田了

モータースポーツでも活躍した1台

 今やコンパクトカーだけでなくアッパーミディアムクラスまで普及した前輪駆動ですが、日産自動車で前輪駆動の先駆けを務めたのは1970年に登場したチェリーでした。そこで今回は名車と呼ばれたチェリーを紹介します。

日産のエントリーモデルで登場した1000ccの前輪駆動

 日産のブランドのひとつ、ダットサンの本格的な戦後モデルとして1955年に登場した110型系が850cc、1957年に登場した後継モデルの210型系が1000ccエンジンを搭載していました。1959年に登場した310型系(初代ブルーバード)では、1000ccに加えて1200ccモデルも登場。次第に1200ccモデルが主流となっていきました。

 そして空白となった1000ccクラスには1966年に初代サニーが登場します。オーソドックスながら軽快なデザインと動力性能、そして高い信頼性で初代サニーは大きな反響を呼びましたが、1970年に登場した2代目では1200ccに排気量が拡大されていました。

 これは1000ccで登場した初代サニーに対して半年遅れで登場し、最強のライバルとなる初代トヨタ・カローラが1100ccでデビュー。「プラス100ccの余裕」をキャッチフレーズにCMを展開し、販売競争でサニーを圧倒したことから、2代目サニーでは1969年に1200ccに排気量を拡大していたカローラに合わせる格好で1200ccエンジンを搭載。『隣のクルマがちいさく見えま~す』と反撃することになりました。

 ちなみに、2代目サニーが登場した当時、まだカローラは初代モデルが現役でしたが、じつは両車はほぼ同サイズ。2代目サニーが登場した3カ月後に登場した2代目カローラは、初代カローラや2代目サニーよりもひとまわり大きくなっていました。

 この辺りから、モデルチェンジのたびにボディやエンジンが大きくなっていく慣例が繰り返されていました。これは日本国内に限らず、世界中のメーカーが繰り返してきた悪しき慣例ですが、いずれにしてもこれでまた日産の、1000ccのエントリーモデルが消えることに。そんな日産のエントリーモデルとして、2代目サニーが登場してから9カ月後の1970年10月に登場したモデルが日産チェリー(初代モデルのE10型)です。

 日産は、旧中島飛行機の流れをくんでいたプリンス自動車工業を1966年に吸収合併していました。この初代チェリーはそもそもプリンス自動車工業で開発が進められていて、日産に吸収合併された後も旧プリンス出身の社員を中心に、旧プリンスの開発拠点である東京都杉並区にあった荻窪事業所で開発が続けられ、1970年の10月に発表・発売されることになりました。

 最大の特徴は日産として初、国産車としても軽乗用車のホンダN360や小型乗用車のスバル1000が採用している程度でまだまだ珍しかった前輪駆動を採用していたこと。それでは初代チェリーのメカニズムを紹介していきましょう。

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