イシゴニス式の“2階建”でレースでも大活躍
初代チェリーが搭載していたエンジンは、1966年にデビューした初代サニーが搭載する直列4気筒プッシュロッドのA10型と2代目サニーが搭載していたA12型。排気量は、それぞれ988cc(ボア×ストローク=73.0mmφ×59.0mm。シングルキャブ仕様で最高出力は58ps)と1171cc(ボア×ストローク=73.0mmφ×70.0mm。ツインキャブ仕様で最高出力は80ps)でした。
前輪駆動とするためのレイアウトは直列4気筒のA10/A12型エンジンを横置きに搭載。トランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルをエンジンの下に置く“2階建”の配置としていました。これは1959年にブリティッシュ・モーター・コーポレーションがリリースしたミニ(オースチン・セブン/モーリス・ミニ・マイナー)に初めて採用されていたレイアウトで、最初にデザインしたアレック・イシゴニスに因んで「イシゴニス式」と呼ばれる様式です。
そして、のちにフィアットのダンテ・ジアコーサがデザインしたエンジンとトランスミッションを一列に置き、そのトランスミッションと一体式のトランスアクスルから左右にドライブシャフトが伸びる、いわゆる「ジアコーサ式」とともに前輪駆動を一般化したエンジン/駆動系レイアウトのひとつです。
ちなみにイシゴニス式のミニに搭載されたエンジンは、チェリーに搭載されたのと同じA型を名乗っていました。サスペンションはフロントがマクファーソン・ストラット式、リヤがコイルで吊ったトレーリングアーム式で4輪独立懸架を採用。
ブレーキはフロントにディスク式、リヤにはドラム式を装着していました。ボディのバリエーションは2ドアと4ドア、2タイプのセダンがラインアップされていましたが、一般的な3ボックス・スタイルではなくリヤウインドウを斜めに寝かせてトラックリッドに繋げたファストバック・スタイルを採用しており、とくに2ドア・セダンは2ドア・クーペを名乗ってもよさそうな、スポーティなルックスでした。
デビューから1年後にはルーフを伸ばしてリヤゲートを備えたクーペが登場。まるでコッペパンのような、数多くのライバルがラインアップしていた“クーペ”とは一線を画したデザインが人気を呼んでいました。
さらに1973年にはクーペにオーバーフェンダーを装着したホットモデルのX-1Rが追加されています。ちなみに2ドア/4ドア・セダンの全長×全幅は3610mm×1470mm。全長が伸びたクーペでも3715mmでしかなく、オーバーフェンダーで全幅が広げられたX-1Rでも1550mmでしかありませんでした。
軽自動車をひとまわり大きくしただけのミニはともかく、じわじわと肥大化していったカローラやサニーよりわずかずつでもコンパクトで軽量に収まっていましたから、そのパフォーマンスは着実に引き上げられていました。
X-1Rが追加設定される前、クーペが登場したころから、日産のワークスドライバーによってチェリー・クーペがレースに登場するようになります。サニーに関してはコンサバな後輪駆動で、プライベーターの参戦が先駆けとなった雰囲気もありましたが、チェリー・クーペはまだまだノウハウが少ない前輪駆動だったために、プライベートなチューナーには手に余るところもあったのでしょう。
開発はメーカー主導で進められていました。デビュー戦は1971年10月、1300cc以下のツーリングカーにとっては活躍のひのき舞台となっていた富士マイナー・ツーリング(MT)レースでしたが、日産ワークスドライバーの黒澤元治選手のドライブで見事優勝。
翌1972年の富士MTも開幕から長谷見昌弘、黒澤、北野 元のワークスドライバー3選手が入れ替わりで前年から5連勝を飾り、また耐久レースでは1972年の4月に行われたレース・ド・ニッポン6時間で歳森康師/星野一義組が総合2位でチェッカーを受けています。
スプリントレースではカローラ/パブリカのトヨタ勢やプライベートのサニーと高バトルを展開するのが常でしたが、とくにウェットコンディションになるとその強さはライバルを一蹴することになっていました。デザイン的には1973年シーズンのワークス車両に施された“火の玉”カラーが印象的で、まだ若手だった長谷見・星野両選手の活躍とともにファンの記憶に刻み込まれています。