リヤシートに電動リクライニング式のセパレートシート仕様がオプションで選べた
先頃新型が登場し、その変貌ぶりが話題となったトヨタ・クラウン。じつはこれまでにも、モデルチェンジでその変貌ぶりが話題になったことがありました。今回はそんな1台、クジラの愛称を持つ4代目を振り返ります。
先進過ぎたスタイリングが裏目に働き営業的に苦戦
今から67年前の1955年に初代モデルが誕生したトヨタのクラウンは、国産車としてはもっとも長い歴史を持つモデル(ブランド)です。そして歴代モデルのすべてが、高級車として持て囃されてきました。また歴代モデルがスタイリングやメカニズムで進化を遂げていくのですが、進化が少なくても、多すぎてもファンが離れていくために、進化のさじ加減がとても重要でした。
今回の主人公である4代目クラウンは、進化が大きすぎて“失敗作”の烙印を押されてしまった1台です。その最大の要因はスタイリングにありました。それまでのスタイリングから一新し、スピンドル・シェイプ(紡錘形)と呼ばれる丸みを帯びたシルエットに生まれ変わっています。
ディテールを細かく見ていくと、まずはバンパーが特徴的でした。両サイドがボディラインに沿って上方に回り込んだ形状も、このクラスでは珍しかったのですが、何よりも一般的なメッキバンパーではなく、ボディと同色にペイントされたカラードバンパーだったのです。
さらにノーズ先端部分を絞り込み、細長いメイングリルの上、少し後退した位置にサブグリルを設け、そのサブグリルがボディサイドに回り込んだ先にターンシグナルランプを配置するなど、それまでの“常識を超えた”スタイリングだったのです。
その一方で、メカニズム的にはコンサバで、3代目で初めて採用されたペリメーター型フレームのほか、サスペンションはフロントがコイルスプリングで吊ったダブルウィッシュボーン式の独立懸架を採用。リヤもコイルスプリングで吊ったアクスルを4本のリンクでコントロールするリジッド式ということも継承されていました。
さらに搭載されるエンジンも、基本的には3代目からの継承で1988cc(ボア×ストローク=75.0mmφ×75.0mm)直6 SOHCのM型がメイン。最高出力は低圧縮比仕様のM-C型が105ps、2バレル・ツインキャブ仕様のM-D型が115ps、SUツインキャブ仕様のM-B型が125psと多くの仕様をラインアップ。
また廉価版の一部グレードには1994cc(ボア×ストローク=88.0mmφ×82.0mm。最高出力は98ps)直4プッシュロッドの5R型エンジンが搭載されていました。先進過ぎて、それまでのコンサバなユーザー層が離れていったとされるスピンドル・シェイプのスタイリングは、見た目だけでなく大きなウィークポイントを抱えていたとも伝えられています。
それは冷却性能の不足。ボディ先端を絞り込んだことでグリルからエンジンルームへの通風が限られてしまい、とくに夏季にはオーバーヒートが続出してしまったそうです。またボディのコーナー部分が丸く絞られたことで車体の見切りが悪くなり、取り回しに支障が出るとの不評も相次いだと伝えられています。
結果的に、大きなターゲット層である法人ユーザーも、先代でハードトップを追加するなどして開拓してきた個人ユーザーも、ライバルの日産セドリック/グロリアに乗り換えるケースが増えてしまいました。同月にフルモデルチェンジして3代目の230型に移行したセドリックと、4代目に移行すると同時にセドリックと双子車となったグロリアの連合軍は、コンサバなスタイリングで登場したこともあって、進歩的に過ぎた4代目クラウンは苦戦。1955年に登場した初代モデルから維持してきた、このクラスのトップセラーの座をセドリック/グロリアに譲ってしまったのです。
高級・豪華路線をまい進するも……
それまではスーパーデラックスが最上級グレードでしたが、この4代目ではさらに上級のスーパーサルーンがラインアップされています。またリヤシートに電動リクライニング式のセパレートシート仕様がオプションで選べるようになっていました。
さらにデビュー3カ月後には2563cc(ボア×ストローク=80.0mmφ×85.0mm。最高出力は130ps)直6 SOHCの4M型エンジンを搭載した2600スーパーサルーンを追加設定。1年半後には4Mを搭載した2600スーパーデラックス、2600デラックスを追加するなど、高級/豪華路線を突き進んでいくことになるのです。
しかし、マーケットでの苦戦は続きました。そこで1973年10月にはスタイリングにも改良のメスが加えられ、前後のカラードバンパーをメッキバンパーに交換するなど大幅なフェイスリフトが実施されました。またスポーティグレードのSLにポルシェ・タイプの5速MTを用意してエンジンもパワーアップ。
さらに1974年の1月には2L仕様のスーパーサルーンとSLに電子制御式燃料噴射(EFI)システムを採用したM-E型エンジン(排気量は1988ccで最高出力は135ps)搭載モデルをラインアップに追加しています。しかし、こうしたさまざまなテコ入れ、いやトヨタ流の“カイゼン”も人気を復活させる特効薬とはなりませんでした。その結果、4代目クラウンは、3年8カ月の短期間でモデルライフを終え、後継の5代目に座を譲ることになったのです。
しかし今振り返ってみると、4代目クラウンが不人気だった理由が今ひとつ納得できません。デザインの好き嫌いは十人十色。また時代背景というかトレンドもあると思うのですが、個人的にはハードトップのデザインは格好いいと感じています。
もしレースに出ていれば……
クラウンといえば2代目のS40系が鈴鹿サーキットで1963年に行われた第1回日本グランプリのサポートレース、2L以下のツーリングカーによるCⅣレースに参戦し、多賀弘明選手が優勝を飾っていました。
また3代目のS50系は、参加台数こそ多くはありませんでしたが、ストックカーレースで活躍しています。とくに初代センチュリー用のV8プッシュロッドの2981cc(ボア×ストローク=78.00mmφ×78.0mm) 3V型エンジンを搭載したハードトップが、トヨタのワークスドライバーである蟹江光正選手のドライブで参戦。
圧倒的多数を誇る130型セドリック勢を相手に回し、1970年の11月に富士スピードウェイで開催された全日本ストックカー富士200マイル・レースでは王者・鈴木誠一選手のセドリックに次ぐ2位入賞を果たしていました。
そしてこうした好成績以上に、その雄姿は印象的で記憶に残る1台でした。今更ですが、4代目クラウンも格好いいハードトップがあったのですから、3V型エンジンを搭載して出場できていれば……、と個人的には思えてなりません。