バブル景気で日本でもBMW人気が一気に高まりM3やM5が大ヒット
さかのぼること1974年。ABSをはじめ、4バルブヘッド、燃料噴射、ターボチャージャー、そして軽量化ボディが、すでにBMWのレーシングカーには採用されていた。アイデアマンであったネアパッシュらは、レーシングカーの開発を通して、安全かつ信頼性のある高性能車が一般市民にも求められていることに気づいた。そのため、エンジンだけでなくシャシーや足まわりも強化し、モータースポーツのテクノロジーを活かして車両作りを始めていた。
1980年ごろにはM1に搭載されていたM88ユニットを30度スラントさせてロードカーに搭載することが検討されている。その後、BMWから正式に依頼を受けて生まれたのが、M88直系のS38B35エンジンだ。1983年、このエンジンを搭載したE24型「M635CSi」がフランクフルトモーターショーでデビュー。これがいまや世界中で愛されるMのシリーズモデル誕生の瞬間だった言っていいだろう。
ちなみに、「M6」という呼び名は、当時、北米と日本に向けの「M635CSi」に与えられたネーミング。E12ならびにE28の5シリーズにも「M535i」がラインナップされているが、こちらはM謹製エンジンを搭載したモデルではないので注意したい。S38B35エンジンを搭載したE28型「M5」が誕生したのは1985年となる。
さて1980年代は、バブル景気に沸く日本へ本格的に外国車が輸入されはじめたのだが、BMWもその中の1メーカーだ。当時、「ヤンエグ(ヤングエグゼクティブ)」と称される若き実業家や有名私立大学に通う裕福な家系の大学生、有名企業に勤務する若いサラリーマンらがE30型「3シリーズ」をこぞって乗り回し、「六本木のカローラ」と称されたのも今や懐かしい。
そのころ、E30型「M3」を駆り名門シュニッツァーモータースポーツがBMWワークスチームを担い、WTC(世界ツーリングカーシリーズ)やDTM(ドイツツーリングカー選手権)へ参戦。激しく息を呑む戦いに世界中が沸いた。そのころから「M」では本格的に主要レースへのワークス参戦と数多くのカスタマーチームのサポート業務、そしてMモデルの開発も精力に行い、1988年には「BMW M GmbH」へと社名を変更している。
1985年に発表されたE30型M3は「M」の認知度を一気に世界規模へと持ち上げたMモデルだ。レースでの速さはそのまま量販車のイメージ戦略とぴったりと合い、大ヒットとなった。いまも大切に乗り続けているオーナーはもちろん、当時を知らない多くの若者たちをも魅了し続け、彼らがこのE30型M3の購入を希望しているというのも大きく頷ける。
1998年、モータースポーツ部門の代表に元F1ドライバーのゲルハルト・ベルガーが就任。翌1999年には「V12 LMR」のプロトタイプマシンでル・マン24時間耐久レースに挑戦し、片山右京、土屋圭市、鈴木利男の駆るトヨタGT-Oneとの接戦を制して初の総合優勝という快挙を成し遂げている。この記念すべき年、BMW初となるSAVの「X5」と「X6」が登場。そのMモデルは2ドアクーペや4ドアセダンだった従来の「M」のイメージを大きく覆すもの。現在にもつながるハイパフォーマンスラグジュアリーなSUVブームの先駆け的な存在となり、その勢いは今も留まることはない。
電動化が進む未来はMがどのような走りを提案するのか期待したい
50年の年月を経て、テクノロジーの発展とともに大きく飛躍し、モータースポーツで培ったさまざまな印象的なモデルを生み出し、世界中のオーナーに愛され続けている「M」。
50年前の1972年といえば、ミュンヘンオリンピックで、「1602」を改造して作ったBMW初となる電気自動車2台がミュンヘンの街を駆け抜け、オフィシャルカーとして活躍している。
50年前、遠い未来のテクノロジーのように思われていた電気自動車だが、「M」50周年を迎える今年2022年には、Mパフォーマンスモデルの初のEVカーとなる「i4 M50」がデビューし、誰もがそれを操れる時代になった。50年前はそんな未来を誰が予想できただろうか。今後さらなる50年が楽しみでならない。