アメリカ国内で、輝かしいレースヒストリーを構築
RMサザビーズ「モントレー」オークションに出品されたフェラーリ512 BB/LMは、アメリカ国内で輝かしいレース歴を誇るとともに、マッチングナンバーの真正性も備えているという。
「フェラーリ・クラシケ」のレッドブックによると、シャシーNo.#29511は1979年11月に完成し、ロッソ(赤)の塗装とネロ(黒)のクロス内装が施されていた。29台中13番目に製造されたこの512 BB/LMは、スペアのレーシングエンジン(社内番号034)を搭載し、ニューヨーク州スプリング・バレーのディーラーへ納品された。
翌1980年初頭、ニューヨーク州でクラシック・フェラーリをコレクションするとともに、レース活動も行っていたさる兄弟のもとに納められ、1982年5月のブリッジハンプトンでの「フェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ」のリージョナルミーティングから、長いレース参戦ヒストリーを開始することとなる。
1984年シーズンからは、本格的にIMSA選手権レースへと参戦。FIA選手権でいえば「グループC」に相当する「IMSA-GTP」マシンたちには及ばないものの、ライムロックやワトキンス・グレンなどのコースで複数の入賞を獲得している。
そのクライマックスとなったのは、経験豊富なIMSAドライバー、ドン・ウォーカーを一時的にチームに迎え入れ、総合16位、クラス9位という素晴らしい成績を収めた1985年2月のデイトナ24時間レースだろう。これは512 BB/LMがデイトナで記録した最高の成績であった。
その後、一線を退いたシャシーNo.#29511は、複数のオーナーのもとヴィンテージカーレースやクラブイベントなどで出走したのち、20世紀末の10年間は倉庫に眠っていたとされる。しかし2000年代に入ると再び日の目をみて、2000年8月にロード・アメリカで開催された「シェル・フェラーリ・ヒストリックチャレンジ」や、2008〜2009年にはラグナ・セカの「モントレー・ヒストリックレース」にも連続出場している。
そして、2011年末にこのフェラーリを譲り受けたオーナーは、入手直後にフェラーリ・クラシケの認定を申請。すぐにレッドブックが発行され、主要なメーカー純正装備のマッチングナンバーの機械部品がすべて継続して存在することが確認された。その後、ワシントン州シアトルのフェラーリ・スペシャリストに委託され、オリジナルカラーへのリフィニッシュを含む包括的なレストアが行われたという。
この512 BB/LMは、過去11年間で「カヴァリーノ・クラシック」に4回出展。2014年には関連レースの「トロフェオ・ディ・フロリダ」で優勝も果たしている。また、2014年10月にビバリーヒルズで行われた「フェラーリ・ノースアメリカ60周年」記念式典と、2017年8月にペブルビーチで行われた「フェラーリ70周年」の記念式典にも参加した。
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アメリカで輝かしいレーシングヒストリーを築き上げたフェラーリ512 BB/LMが、アメリカでもっとも重要なオークションに出品されるということもあってだろうか、RMサザビーズ北米本社は280万ドル~300万ドル(邦貨換算約3億9000万円〜約4億1800万円)という高額のエスティメート(推定落札価格)を設定したものの、残念なことに実際に行われた競売では、最低落札価格に届くことなく流札。現在では「継続販売中」となっている。
ただしこのエスティメートは、現在の国際マーケットにおけるフェラーリ512 BB/LMとして、高すぎだったとは思わない。例えば「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」のヒルクライムに招待されることも夢ではないこの個体ならば、億単位の価格であっても妥当とするのが、現在の国際マーケットにおける評価なのである。