2022年11月に12年ぶりに開催されるラリー・ジャパン
2022年11月に愛知・岐阜を舞台として12年ぶりに開催が予定されている世界ラリー選手権(WRC)「ラリー・ジャパン」。その予習として、かつて北海道で2004年~2010年の間に計6回開催されたラリー・ジャパンの軌跡を振り返る。今回は2008年と2010年を見てみよう。
2008年:舞台を札幌に移しエキサイティングなラリーが展開
2004年の初開催以来、つねにドラマチックな名勝負が生まれてきたことから、ラリー・ジャパンはWRCの一戦として定着。とはいえ、帯広市を拠点に十勝エリアで開催されてきたこれまでの大会はロードセクションの距離が長く、アイテナリー(行程)の遅延がたびたび発生したことから、5度目の開催となる2008年の大会は拠点を札幌に移し、道央エリアで開催されることとなった。
ヘッドクオーターおよびサービスパークが置かれたのは札幌ドームで、球場内にはスーパーSSが設定されるなどエンターテイメント性が高く、実際にWRカーのアクションは圧巻の光景だった。
これに加えて、2008年のWRCはスバル、シトロエン、フォードのほか、これまでJWRCで活躍してきたスズキがWRカーで本格的な参戦を開始したことも影響したのだろう。2008年のラリー・ジャパンは例年以上に注目度の高い大会となったが、大会直前の雪、そしてラリーウィークは雨から晴れ……といったように不安定な天候となったことから、例年以上にサバイバルラリーが展開されることとなった。
まず、デイ1のSS6でフォードのカスタマーチーム、ストバード・フォードで2番手につけていたフランソワ・デュバルがコースアウトを喫し、コ・ドライバーのパトリック・ビバトが負傷したほか、5番手につけていたシトロエンのダニ・ソルドがエンジントラブルでストップ。さらにデイ2では5番手につけていたスバルのエース、ペター・ソルベルグがコースアウトを喫し、上位争いから脱落するなどラリー序盤から脱落者が続出した。
この波乱の展開を抜け出したのが、フォードのエースになっていたミッコ・ヒルボネンで、レグ1でトップに浮上すると最後までポジションをキープし大会2連覇を達成。しかし、それ以上にファンの歓声を集めていたのが、シトロエンのエース、セバスチャン・ローブだった。ランキング首位につけていたローブはラリー・ジャパンで3位以上に入賞すればタイトルが決定する状況のなか、見事、安定した走りで2位入賞を果たし、5年連続でドライバーズタイトルを獲得。ローブの人気は日本でも高く、ミッコの大会2連覇が霞むほど、多くのファンがチャンピオン誕生の瞬間に酔いしれていた。
こうして興奮のうちに幕を閉じた2008年の大会だったが、このころのWRCは開催候補地が増えてきたことから、ローテーション制が導入されるようになり、2009年の日本ラウンドは休止。次に日本にWRCが上陸したのは2010年で、ふたたび札幌を拠点に6回目のラリー・ジャパンが開催された。