シンプルすぎるレースカー「フォード999」で氷上スピードトライアル
「フォード26馬力レーサー」の後継となる新型マシンが製作されたのは1902年のこと。製作された2台のうち、当初は黄色いマシンが「999」、赤いマシンが「アロー(矢)」と呼ばれた。4気筒で排気量18.9L、ボア×ストロークは184.15mm×177.8mm(!)。パワーは70馬力とも100馬力とも言われている。
デビュー後の999とアローは、翌1903年にかけて各地のレースで好成績を残す。各地を転戦しながらメンテナンスとモディファイを繰り返すなかで、やがて2台の区別は薄れていったという。そのうちの1台がレース中に事故で大破。フォードはそのマシンをレストアし、今度はミシガン州とカナダのオンタリオ州との境にあるセントクレア湖氷上での速度記録樹立に挑戦する。通常のレースではフォード999の運転は専属のレーシング・ドライバーが担当していたが、このトライアルに関してはヘンリー・フォード自らが操縦することとなった。なお「999」の名は、当時速度記録を樹立したエンパイアステート急行の蒸気機関車「999」にちなんだものだ。
ヘンリー自ら命がけで叩き出した世界新記録147.05km/h
すでに広告や新聞記事などによって「新型999」や「レッドデビル999」の名で話題となっていた新生フォード999。操舵はステアリング・ホイールによるものではなく、バー状のタイプ。リヤサスペンションもデファレンシャル・ギヤも持たない原始的な機構ながら、ヘンリー・フォードはセントクレア湖の氷上でそのマシンを駆り、1マイル(約1.6km)39.4秒というタイムを記録。見事に自動車速度の世界新記録(91.37mph=147.05km/h)を樹立したのである。時に1904年1月12日のことであった。
その後999は全米を行脚。1903年に創立された「フォード・モーター・カンパニー」が、初の市販車となる「A型」から「B型」、「C型」……と、次々に市販車を登場させていくなかで、「999」が同社のブランド・イメージ向上に果たした役割は、非常に大きかったことだろう。
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ほかのアメリカ系自動車メーカーに比べ、フォードのエンブレム「ブルー・オーバル」はF1、ル・マンに代表されるスポーツカー・レース、そしてWRCなど、世界中のモータースポーツの分野で多く見られる。それは「速度こそが、クルマを売れるものにする」と信じたヘンリー・フォードの信念が、今なお同社に色濃く根付いているからではなかろうか。