メカニズム的には正常進化だったがスタイリングを一新した3代目
初代&2代目の栄光を継承すべく1973年5月には2度目のフルモデルチェンジを受け、サニーは3代目となるB210型系へと移行しています。メカニズム的には先代のB110型系を踏襲していて、フロントがマクファーソン・ストラット式、リヤがリーフ・リジッド式のサスペンションを組み付けたシャシー/ボディのフロントにL14とA12エンジンを搭載。
後輪を駆動するFRでしたが、B110型系ではA12を搭載したベースモデル(ホイールベースは2300mm)とL14を搭載したエクセレント(同じく2340mm)では、ホイールベースに40mmの差がつけられていました。B210型系では全車ホイールベースは2340mmで統一。結果的に1200のホイールベースが40mm延長された格好となりました。
ボディサイズも拡大され全長×全幅×全高が3950mm×1545mm×1370mm(1200・4ドア。エクセレント・クーペは全長4045mm)で、車両重量が775kg(同じくエクセレント・クーペは875kg)と先代モデルに対して全長で125mm長く、全幅で30mm広く、そして車両重量は70kg重くなっていました。
モデルチェンジのたびに大きく重くなっていくのは古今東西を問わず悪しき通例となっていますが、B110型系からB210型系へのモデルチェンジでは、それが顕著だったようです。それ以上に話題を呼んだのはスタイリングが一新されたことでした。
初代のB10型系、2代目のB110型系は直線的でクリーンなエクステリアデザインでしたが、B210型系ではこれが一転していたのです。
当時の日産車は、1971年に3代目ブルーバード(510型系)の上級モデルとして登場した4代目ブルーバードU(610型系)を筆頭に、1972年に登場した4代目スカイライン(C110型系)や1973年に登場した初代バイオレット(710型系)、1975年に登場した4代目セドリック/5代目グロリア(330型系)など、多くのモデルがそれまで直線的なデザインから、曲線を多用し抑揚をつけたデザインに変更されていました。そしてその路線に沿ったかのようにB210型系も抑揚を利かせた、ある意味装飾過多でアクの強いデザインとなっていきました。
デザインの好みは十人十色で、絶対的な評価は難しいところがあります。実際に1973年の登場から1977年に生産を終了するまでに90万台近くが販売され、年間平均販売台数は約18万3000台。当時の社会経済状況などで簡単には判断できない部分もありますが、4代目のB310型系に比べて約1割低かったものの、ヒット作と呼ばれた2代目のB110型系とほぼ同レベルで、販売で苦戦したことは立証できません。
ただイメージとしてB210型系が弱いのは、レースで活躍していない、というかほとんど参戦していなかったことです。富士のMTレースなどではわざわざ公認期間を延長してB110型系を延命させ、その後継には4代目のB310型系が選ばれていたのですから、その不人気ぶりが分かります。
B310型系がB210型系に比べてコンパクトになったり、軽量になった訳でもなく、モデルチェンジの通例のように大きく重くなっていましたが、考えられるのはスタイリングで先代モデルに対していかにも大きく重くなった印象の強いB210型系と、それほどでもない(と感じられた)B310型系、ということでしょうか。
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いずれにしても、B210型系の、マーケットでの人気は芳しくなかったようで、当時B110型系を下取りにしてB210型系の中古車を購入した知人がいましたが、年式の古いB110型系の下取り価格の方が、同じ中古でも年式の新しいB210型系の価格の方が安かった、と聞いた記憶があります。ですが、それだけでB210型系の評価はできません。実際に、あのスタイリングが気に入って購入し、今でも大切に保有し続けているオーナーの話も聞いたことがあります。クルマの評価は難しいと感じさせられます。