当時は不人気モデルだった……
「3代目は身上を潰す」とも「3代続けば末代続く」とも言われ、家系を繋いでいくうえでも重要とされる3代目ですが、クルマの中にも身上を潰した3代目もあれば、末永く続けた3代目もあります。今回振り返るのはサニーの3代目、1973年に登場したB210型系。果たして身上を潰したのか、末永く続けられたのか。
栄光のストーリーが綴られた初代&2代目サニー
サニーは、初代モデルが1966年に登場しています。ダットサン110/210型系からブルーバードの初代310系、2代目410系と、日産のエントリーモデルを受け持ってきましたが、ブルーバードが初代の310系から2代目の410系に移行した際、ベーシックグレードが1000ccから1200ccへと排気量が拡大。
空白となった1000ccクラスを埋めるべく登場したもので、搭載されたA10型エンジン(排気量はボア×ストローク=73.0mmφ×59.0mm。988ccで最高出力は56ps)は新開発されたものでした。直4の3ベアリングで、バルブ配置はリバースフローのOHVでしたが、カムシャフトを高い位置にマウントしてプッシュロッドを短くするなど高速型の設計となっていた面もありました。
結果的にA型系エンジンは、70年に2番手として登場したA12型からは5ベアリングで再設計されています。2代目から3代目、後輪駆動だったサニーの基幹エンジンの大役を担っただけでなく、富士スピードウェイで行われていた1300cc以下のツーリングカーによる富士マイナー・ツーリング(以下:MT)レースの主役としてさらに性能が向上。最終的には最高回転数は10000rpmを超え、最高出力も170psオーバーに。1970~1980年代を代表するエンジンとなっていました。
もちろん、初代サニーの魅力はエンジンだけではありません。直線的でクリーンな線と面で構成されたスタイリングも好評でしたが、シャシー性能の高かったことも、初代サニーの大きな魅力でした。サスペンションはフロントが、横置きのリーフスプリングで吊ったダブルウィッシュボーン式で、リヤはリーフ・リジッド。ブレーキも全輪ドラムブレーキと、メカニズム的にはクラシカルなスペックでしたが、バランスよくまとまっていて好印象です。
何よりも車両重量が645kgと軽量に仕上がっていたのが最大の美点で、動力性能も上々です。ベースモデルの持っているポテンシャルも高く、レースでも活躍。1967年にオーストラリアで行われたバサースト500マイルでクラス1-2を飾り、日産ワークスの高橋国光選手と大石秀夫選手のコンビがクラス2位に。
翌1968年には、マレーシアGPのツーリングカーレースで日産ワークスの黒沢元治選手が総合4位/クラス優勝。また国内でも1968年8月に鈴鹿で行われた全日本鈴鹿自動車レースで、日産ワークスの北野 元選手のサニーは1300cc以下のツーリングカーレースで優勝を飾っています。
そんな初代サニーは、1970年の1月にフルモデルチェンジを受けて2代目のB110系に移行していきます。スタイリングはキープコンセプトで直線的かつクリーンな面で構成されたボディは、2/4ドア・セダンと2ドア・クーペをラインアップ。
メカニズム的にはフロントサスペンションがマクファーソン・ストラット式に変更されていましたが、リヤのリーフ・リジッドは共通で、ブレーキもフロントにディスクブレーキを採用して強化されています。エンジンはA10の3ベアリングから5ベアリングに再設計された1.2LのA12型(ボア×ストローク=73.0mmφ×70mm。最高出力はシングルキャブで68ps、後に登場したツインキャブ版で83ps)を搭載していました。
カローラの“挑発”に載せられた格好でボディはひと回り大きくなり、具体的には全長×全幅×全高が3825mm×1515mm×1350mm(クーペ1200)で、初代モデル(1000クーペ)の3770mm×1445mm×1310mmよりも全長で55mm長く、全幅で70mm広くなっています。
車両重量も1000クーペの675kgに対し、クーペ1200は705kgと30kg重くなっていました。もっとも現在ではサブコンパクトのリッターカーが、例えばトヨタのパッソが910kgもあることを考えるなら、サニーのクーペ1200も200kg以上軽かったことになります。
2代目サニーの登場から1年余りたった1971年4月には、上級モデルのエクセレント(PB110)が登場しています。これは直4SOHCのL14(排気量は1428cc、ボア×ストローク=83.0mmφ×66.0mm。最高出力はシングルキャブ仕様で85ps、ツインキャブ仕様では95ps)を、ホイールベースを40mm伸ばして搭載していました。
サスペンションも、フロントは1200と同じマクファーソン・ストラット式でしたが、パーツはブルーバードから転用。リヤは1200と同じリーフ・リジッド式で、どちらも専用のチューニングが施され、約100kg重くなったことに対応していました。
クーペ1200もエクセレント・クーペもレースで活躍することになりましたが、エクセレントの方はツインカムヘッドに載せ替えた1973年シーズンの活躍が印象的です。一方クーペ1200は富士のMTレースで活躍し、事実上のワンメイクとしてしまうほど、圧倒的な強みを見せて記憶に残る1台でした。
メカニズム的には正常進化だったがスタイリングを一新した3代目
初代&2代目の栄光を継承すべく1973年5月には2度目のフルモデルチェンジを受け、サニーは3代目となるB210型系へと移行しています。メカニズム的には先代のB110型系を踏襲していて、フロントがマクファーソン・ストラット式、リヤがリーフ・リジッド式のサスペンションを組み付けたシャシー/ボディのフロントにL14とA12エンジンを搭載。
後輪を駆動するFRでしたが、B110型系ではA12を搭載したベースモデル(ホイールベースは2300mm)とL14を搭載したエクセレント(同じく2340mm)では、ホイールベースに40mmの差がつけられていました。B210型系では全車ホイールベースは2340mmで統一。結果的に1200のホイールベースが40mm延長された格好となりました。
ボディサイズも拡大され全長×全幅×全高が3950mm×1545mm×1370mm(1200・4ドア。エクセレント・クーペは全長4045mm)で、車両重量が775kg(同じくエクセレント・クーペは875kg)と先代モデルに対して全長で125mm長く、全幅で30mm広く、そして車両重量は70kg重くなっていました。
モデルチェンジのたびに大きく重くなっていくのは古今東西を問わず悪しき通例となっていますが、B110型系からB210型系へのモデルチェンジでは、それが顕著だったようです。それ以上に話題を呼んだのはスタイリングが一新されたことでした。
初代のB10型系、2代目のB110型系は直線的でクリーンなエクステリアデザインでしたが、B210型系ではこれが一転していたのです。
当時の日産車は、1971年に3代目ブルーバード(510型系)の上級モデルとして登場した4代目ブルーバードU(610型系)を筆頭に、1972年に登場した4代目スカイライン(C110型系)や1973年に登場した初代バイオレット(710型系)、1975年に登場した4代目セドリック/5代目グロリア(330型系)など、多くのモデルがそれまで直線的なデザインから、曲線を多用し抑揚をつけたデザインに変更されていました。そしてその路線に沿ったかのようにB210型系も抑揚を利かせた、ある意味装飾過多でアクの強いデザインとなっていきました。
デザインの好みは十人十色で、絶対的な評価は難しいところがあります。実際に1973年の登場から1977年に生産を終了するまでに90万台近くが販売され、年間平均販売台数は約18万3000台。当時の社会経済状況などで簡単には判断できない部分もありますが、4代目のB310型系に比べて約1割低かったものの、ヒット作と呼ばれた2代目のB110型系とほぼ同レベルで、販売で苦戦したことは立証できません。
ただイメージとしてB210型系が弱いのは、レースで活躍していない、というかほとんど参戦していなかったことです。富士のMTレースなどではわざわざ公認期間を延長してB110型系を延命させ、その後継には4代目のB310型系が選ばれていたのですから、その不人気ぶりが分かります。
B310型系がB210型系に比べてコンパクトになったり、軽量になった訳でもなく、モデルチェンジの通例のように大きく重くなっていましたが、考えられるのはスタイリングで先代モデルに対していかにも大きく重くなった印象の強いB210型系と、それほどでもない(と感じられた)B310型系、ということでしょうか。
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いずれにしても、B210型系の、マーケットでの人気は芳しくなかったようで、当時B110型系を下取りにしてB210型系の中古車を購入した知人がいましたが、年式の古いB110型系の下取り価格の方が、同じ中古でも年式の新しいB210型系の価格の方が安かった、と聞いた記憶があります。ですが、それだけでB210型系の評価はできません。実際に、あのスタイリングが気に入って購入し、今でも大切に保有し続けているオーナーの話も聞いたことがあります。クルマの評価は難しいと感じさせられます。