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新車価格たった22万円! 世界に衝撃を与えた「タタ・ナノ」が参考にしたのは日本の軽自動車「三菱i」だった!?

フランスのノレブ製1/43モデルカー「タタ・ナノ」

21世紀に生まれた「世界一安い庶民のためのクルマ」

 日本において「タタ」の知名度はさほど高くはないが、1868年にジャムセトジー・タタによって設立され発展してきたタタ・グループは、インドを代表する巨大コングロマリットで、その一部門であるタタ・モータースはやはりインド最大級の自動車メーカーだ。そんなタタ・モータースが2008年に発表したインドの国民車「タタ・ナノ」は、果たして「現代のシトロエン2CV」たりえたのだろうか。

インド最大の財閥のひとつ「タタ・グループ」

 綿の貿易会社を振り出しに、さまざまな事業を手がけるタタ・グループが輸送機関の分野に進出したのは1945年のこと。当初は「TELCO(タタ・エンジニアリング&ロコモーティブ・カンパニー)」という会社名で蒸気機関車などの製造を手がけ、1950年代にはメルセデス・ベンツ商用車の現地生産から自動車製造にも参入。これがタタ・モータースのルーツで、現在の社名に改められたのは2003年と、比較的最近のことである。

 その会社の成り立ちと発展の経緯、趣味性を狙うことのない、ごく一般的な製品ラインアップからすれば、わが国のクルマ好きが積極的にタタ・モータースの情報を追いかけることはなかった。

ライバル「マルチスズキ800」の半額という圧倒的な安さ

 そんなタタの名前が一気に注目を浴びたのは、2008年に発表された国民車「ナノ」によってだろう。なんと言っても衝撃は、「工場出荷時10万ルピー」というその破壊的な低価格にあった。ベーシック・グレードがディーラー店頭価格で11万2735ルピーと、当時のレートで日本円に換算すれば約22万円。すでに当時からインド国内市場で乗用車市場の半分以上のシェアを誇っていたのはマルチスズキ(スズキのインド子会社)だったが、そのベストセラーモデルである「マルチスズキ800」(アルトをベースにした800ccの小型車)の半額というものであった。

 マルチスズキの母体でもあるスズキが「アルト47万円」のコピーで、日本の軽自動車市場に衝撃を与えたのが1979年のことであるから、それと比較してもなおナノの「10万ルピー」というのはショッキングな低価格で、世界中で大きなニュースとなった。

「三菱i」そっくりだが装備は極限まで削ぎ落とされる

 ボディサイズは全長×全幅×全高が3.1×1.5×1.6mとほぼ軽自動車並み。リヤに搭載されたエンジンは33psを発生する2気筒623cc。そのデザインやレイアウトには、同時代の日本の軽自動車「三菱i」の影響が強く感じられる。

 標準グレードではドアミラーは運転席のみでパワステ、パワーウインドウもオプション。ABS、エアバッグ、オーディオやエアコン、タコメーターなども備えず、リヤのテールゲートも持たない。ブレーキは四輪ドラムで、トランスミッションは4速マニュアルのみ、さまざまな安全デバイスや装備が、まさに究極まで削ぎ落とされており、そのコストカットに対するこだわりはもはや執念とすらいえる。

インドの大衆にクルマを普及させるも10年で退役

 1台のバイクに一家4人がしがみつくように乗って移動しているのは、途上国ではよく見かける風景だが、そんなインド国内の現状を憂いたラタン・タタ会長の「一家全員がもっと安全に移動できる乗り物を作るべきだ」という思いから開発が始まったと言われる。

 シトロエンのピエール・ブーランジェの「フランス農民の手押し車に代わる乗り物を!」。あるいはフィアットのヴィットーリョ・ヴァレッタの「スクーター・ユーザーの受け皿となる小型車を!」。そんな志から誕生したシトロエン「2CV」や2代目フィアット「500」のエピソードも思い起こさせる、タタ・ナノ。

 発売当初は大きな話題となり受注も殺到したが、販売価格を上まわる原材料費の高騰、インド国内第一と割り切った設計ゆえに国外市場への展開が難しいなどの要因も重なり、その勢いにはやがて翳(かげ)りが見えはじめる。「世界一安い庶民のためのクルマ」として生まれたインドの国民車「タタ・ナノ」は、フルモデルチェンジした2代目のデビューから3年後の2018年、静かに歴史の舞台から消えていった。

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