フランス生まれスペイン育ちの「マイクロカー」
かつてのサーブ、あるいはわが国のスバルや三菱、プリンスの例を挙げるまでもなく、航空機製造と深い関係を持つ自動車メーカーは世界的に見ても決して少なくない。かつては世界をリードしたフランス航空産業の一翼を担った「ヴォワザン兄弟飛行機会社」のガブリエル・ヴォワザンが、第二次世界大戦後に作った簡素なマイクロカーの物語をご紹介しよう。
航空機メーカーの先駆けとして第一次世界大戦で「大活躍」
フランスは航空・宇宙産業の分野でも長い歴史と伝統を誇る。人類初の「飛行機」はアメリカのライト兄弟のライトフライヤー号であることはよく知られているが、その初飛行からわずか3年後の1906年、フランスのガブリエル・ヴォワザンとシャルル・ヴォワザンの兄弟はパリ近郊に「ヴォワザン兄弟飛行機会社/Appareils d’Aviation Les Freres Voisin(以下、ヴォワザン社)」を設立した。初の商業民間航空機メーカーとしても知られる同社は、1907年には自力で離陸できる飛行機を開発(ライトフライヤー号はカタパルトからの発進)。飛行機の実用化と普及に大きな貢献を果たすのである。
1914年に勃発した第一次世界大戦。人類史上初の近代国家による凄惨な総力戦のなか、生まれて間もない航空機も戦争の趨勢を決する最新兵器へと姿を変え、その製造に携わったヴォワザン社も世界的な航空機メーカーとして飛躍を遂げる。1918年に戦争が終わると、ヴォワザン社はすでに世界有数の航空機メーカーとなっていた。しかし兄のガブリエル・ヴォワザンはこの年に航空事業を休止し、自動車メーカーへと転身したのだった。一説には、自身の航空機が戦争で「大活躍」したことに対する負い目からの決断とも言われている。
ヴォワザンが目指したのは、航空機製造の技術を活かした超高性能で豪華絢爛なクルマであった。ちなみに弟のシャルルは戦争が始まる前の1912年、交通事故で他界している。
耽美的な高級車メーカーとして一世を風靡
1920年代から30年代にかけて生産されたヴォワザン各車は、高度な航空機技術に裏打ちされた高性能とデカダンスな空気をまとったヨーロッパの貴族趣味、アール・デコの影響も感じられるデザインとが高度にバランスし、ガブリエル・ヴォワザンが狙った通りの唯一無二の世界観を作り上げた。そして、世界の王侯貴族を中心に高い評価を得るのであった。
しかし、そんなお伽話のようなクルマ作りは長くは続かなかった。1920年代後半に始まる世界恐慌、そしてふたたび世界をおおう戦争の影。不況の波に飲み込まれた彼の工場は、第二次世界大戦勃発前年の1938年にエンジンメーカーのノーム・エ・ローヌ社に売却された。ふたつの世界大戦の間、つかの間の平和な時代に咲き誇った華やかなヴォワザンの歴史は潰えたのである。