クラウンのライバルたちが夢の跡
もしかしたら消滅かも、と言われていただけに、16代目のトヨタ「クラウン」が登場してひと安心した方も多いのではないだろうか。4タイプでの登場となったが、そのなかにセダンがあったのもまたホッとしたところだ。王者クラウンですら厳しい状況なわけで、ライバルはというと、多くが消滅して風前の灯火状態。鎮魂も兼ねて、ライバルたちを振り返ってみよう。
日産セドリック/グロリア:兄弟連合でクラウンに土をつけた
日産とプリンスとルーツは別のクルマながら、1971年の3代目セドリックと4代目グロリアで、販売店違いの完全な兄弟車となった。代によっては販売台数でクラウンを上まわっている時代がありそうだが、実際はこの1971年登場のモデルのみ。しかもセドリックとグロリアを合わせての数字だった。
ただ、失敗作と言われた1991年登場の9代目クラウンでは肉薄はしたものの、マイナーチェンジで問題を解消されてしまい、トータルでは上まわることはできなかった。保守的なクラウンに対して、最後までアクティブというかヤンチャなイメージを貫いていた。
日産シーマ:バブル期に「シーマ現象」を巻き起こす
正確にはハードトップにあった3ナンバーボディのクラウンのライバルというか、対抗馬として登場した。「シーマ現象」とまで言われただけに、クラウンに競り勝ったと思いきや、相手は今に残る名コピー「いつかはクラウン」の8代目かつ、バブルが後押ししたこともあって、シーマに軍配は上がらなかった。計算の仕方もクラウン全体となるのも、販売台数で上まわることは難しかった理由だろう。
ホンダ・レジェンド:贅を尽くしてホンダとしては大ヒット
1985年に登場した、ホンダ初の3ナンバー、フラッグシップ。クラウンなど、各社が力を入れるジャンルへの参入というのも大きな目論見だった。4ドアセダンだけでなく、2ドアハードトップも用意していたのはホンダらしい点だ。
開発陣が世界の高級ホテルに宿泊したり、天童木工製のウッドパネルを使用するなど、贅が尽くされた。また開発には当時のブリティッシュ・レイランド(のちのローバー)が協力して、高級車作りのノウハウが伝授された。
1990年の2代目はキープコンセプトで高級路線を継承。エンジンーを3.2Lにしてパワフルなものとしたり、フロントミッドシップも大いに喧伝された。そのほかエアバッグの搭載など、日本初も多かった。初代、2代目ともに、それぞれ4万台ほどが売れた。クラウンには及ばないものの、ホンダとしては大ヒットだった。