海外ラリーでも活躍し“ラリーの三菱”の礎を築いた名機
当時テンロク最強を謳っていたサターンエンジンの4G32型ですが、じつは4G32型にもさまざまなタイプがありました。先に紹介した1970年に登場したシングルキャブとツインキャブ、そしてツインカムの各仕様に加えて、1977年にギャランΣに搭載されて登場したG32Bエンジンも、1982年にコルディア/トレディア・シリーズに搭載されて登場したG32Bターボもすべて4G32型ファミリーの一員です。
1977年のギャランΣはフロントに直4エンジンを縦置きにした後輪駆動ですし、1982年のコルディア/トレディアでは国内初のテンロク・ターボとなるなど、それぞれの立ち位置も不明瞭な部分もありましたが、それもこれもサターンエンジンの懐の深さと理解しておきましょう。もうひとつ付け加えるなら、前述のようにサターンエンジンには直4だけでなく直6もラインアップされていました。
これは“サターン6”の愛称を持った6G34型で、1970年に初代デボネアに搭載されてデビューを果たしています。初代デボネアは、1964年に登場した当初は、2L直6プッシュロッドのKE64型エンジンを搭載していました。これは1991cc(ボア×ストローク=80.0mmφ×66.0mm)の排気量から106psを絞り出しており、1963年に登場していたプリンスのグロリアに次ぐ2Lクラスで2番目の6気筒モデルでしたが、グロリアが搭載していたG7型が直6OHCで105psを絞り出していたのに対し、KE64型はプッシュロッドながら106psということで“クラス最強”のエンジンとなりました。
その後ライバルたちは、1960年代中盤から1970年代序盤にかけてフルモデルチェンジを実施したことでデボネアは“時代遅れ”な印象を持たれることになりましたが、そこは“エンジンの三菱”です。1970年にデボネアがマイナーチェンジしたのを機に完全な新型エンジンとして6G34型、つまりサターン6を投入することになったのです。6G34ユニットはSU式のツインキャブを装着し、1944cc(ボア×ストローク=73.0mmφ×79.4mm)の排気量から130psを絞り出し、ふたたび“クラス最強”の座を手に入れることになりました。
ロードモデルだけでなくモータースポーツでもサターンエンジンは目覚ましい活躍を見せています。1965年に国内でラリー活動を開始した三菱は、2年後の1967年には国際ラリーへとステップアップ。その第一歩は、1967年10月にオーストラリアで行われたサザンクロス・インターナショナルラリーでした。
ダグ・スチュワートとコリン・ボンド、ふたりがドライブした2台のコルト1000Fは大排気量車を相手に健闘し、ボンドが総合4位/クラス優勝を飾り、スチュワートもクラス3位につけています。この好成績で始まった三菱のラリーヒストリーですが、1971年から主戦マシンを務めたギャラン16L GSは、アンドリュー・コーワンをエースに迎えた1972年に、見事なパフォーマンスを見せつけています。
クラッチとブレーキの不調に悩まされながらも最大のライバルとなった日産のダットサン240Zをかわしてリードを広げていきます。そして24分もの大差をつけてこれを振り切り、三菱に初の総合優勝をもたらすことになったのです。
翌1973年には世界ラリー選手権(WRC)が制定されますが、三菱の第一歩を飾ったのはやはりギャラン16L GSでした。シリーズ第4戦となったサファリ・ラリーで4台が出場したギャラン16L GSは、初出場ながらグループ2で1600cc以下の2Cクラスで健闘。総合優勝はより改造範囲の広いグループ4の大排気量車、ダットサン240Zが飾っていましたが、2Cクラスで優勝を飾るとともに総合7位につけ、同クラスで走ったダットサン1600SSSに先んじていました。
のちにWRCでトップコンテンダーとなり1996年から1999年までトミ・マキネンがドライバーズタイトルを4連覇。1998年にはマニュファクチャラーズタイトルも奪いWRCを席巻することになる三菱のWRC第一歩は、4G32型ツインキャブエンジンのサターンエンジンを搭載したギャラン16L GSによって記されていたのです。