「ハイラックス」ベースのキャンパー「ドルフィン」を1万2000ドルで購入
3月に入って、2台のキャンパーが浮上した。どちらもトヨタ「ハイラックス」をベースにした「ドルフィン」というモデル。大きな違いは4気筒かV6かという点。年式は1989年と1991年で、わずかな違いだがボディのクラシック感は前者がカッコいい。売り値は4気筒が1万4500ドル、V6が1万6500ドル。内装は写真で見る限り、同程度に見えた。
MAKOTOさんに電話でリサーチをしてもらうと、どちらもキャンピング装備は実動とのこと。ただ、V6のオーナーはかなりのクルマ好きでビンテージカーのメンテナンスを趣味にしているという。MAKOTOさんのアドバイスでV6を第1希望に交渉を開始した。
サンディエゴで実車を確認してもらうと、足まわりやラジエターも整備されていて、試運転の感触も上々。V6ドルフィンに決定することにした。しかも、うれしいことに電話交渉の時点で1万2500ドルになり、契約成立時に1万2000ドルにしてくれた。結局、当初、希望していたモデルを予算内で手に入れることができたのだった。MAKOTOさん、本当にありがとう!
今回、ぼくの相棒となった1991年式トヨタ「ドルフィン」は、ハイラックスをベースに1970年代後半から1990年代前半まで作られた小型モーターホーム。アメリカン・モデルに比べて取り回しがいいこと、コンパクトにまとまった機能的なインテリアが受けて、ロングセラーとなった。実際によく売れたようで、中古市場にもよく登場する。日本でも、並行輸入された正規モデルが販売されていた。
ほとんどのクルマは4気筒2.4Lエンジンを搭載していたが、2.5tあるキャンパーを運ぶには非力だったようだ。当時、試乗記事を書いたという友人も「走らなかった」と述懐している。ぼくのドルフィンは最後期のモデルでトヨタ「4Runner」と同じV6・3Lを搭載。4気筒搭載車と迷ったが、結果的には6気筒にして正解だった。しかも、5万9000マイル(約9万5000km)しか走っていないローマイレージのレア車だ。
無くても構わない装備を見極めておくのがポイント
ほぼオリジナルだが、30年以上経過しているため失われたパーツがある。そのひとつがトイレ。リヤの洗面所に小さなトイレがあったはずだが、取り外されていた。きっと何人目かのオーナーが不要と判断して外してしまったのだろう。ぼくも過去の経験からなくてもいいと判断、このままスタートすることにした。
そのほか、シャワーのフロアパンと洗面ボウルが割れて使えない。シャワー室は物置とクローゼット、洗面ボウルは洗濯物入れとして使うことにした。
意外と苦労したのがプロパンボンベ。通常の縦置きはいくらでもあるが、ドルフィンは横置きのレイアウトになっている。MAKOTOさんがサイズ違いの新古品を苦労して見つけてくれたが、なんと500ドル。思わぬ出費となった。また、狭いスペースに押し込んだため、充填の際の取り外しが面倒になってしまった。
冷蔵庫は外部電源(フックアップ)が取れるときはAC、通常はプロパンで稼働する。プロパンへの切り替えはガスを出しながら点火する儀式が必要で、最初、そのコツがつかめずに切り替えに失敗したが、何度か練習してようやくコツをつかむことができた。
登録や保険など乗り出しまでの経費は1万5000ドル
苦労したといえば、こだわりだった自分の名義での登録。14年前は友人と一緒にDMV(車両管理局)に行き、30分足らずで書類ができてしまったが、今回はそうすんなりとはいかなかった。MAKOTOさんが奔走し、お金もかけてなんとか旅のスタートに間に合わせてもらった。
保険に関しても同様。5年前に知り合った、LA在住で旅行代理店と保険業を経営するAKIRA隊長にお願いして、こちらも旅が始まる寸前にようやく保険が成立した。AKIRA隊長とは4年前に3週間かけてハイ・シエラのジョン・ミューア・トレイルを一緒に踏破した、いわば「戦友」。今回、精神的にも実務的にも大いに助けていただいた。
スモッグチェック、登録、保険、足りないパーツの補充、各種手数料などに3000ドルかかり、乗り出しまでの経費は約1万5000ドルとなった。円安は想定外だったが、まずは予算ギリギリでのスタートに漕ぎ着けた。
旅を終えたあとに置いておく場所も確保できた
ここでひとりの重要人物を紹介したい。じつは旅が終わったらキャンパーを売却してしまうつもりだったが、かなり良いものが手に入ったため、惜しくなってきた。できれば2~3年、都合がいいときにアメリカ放浪を繰り返したいと妄想が膨らんできた。ついては、誰かクルマを置かせてくれる人がいないかと探していたときに、友人の紹介で知り会ったのが中国系インドネシア人のドニーだった。
ドニーは、エアロパーツなどのスピードパーツ・メーカー、「チャージスピード」のアメリカ代理店の社長。事情を話してお願いすると、見も知らないぼくに「いいよ」とふたつ返事でOKを出してくれた。さらに「LAとフェニックスにウエアハウスがあるけど、どっちがいい?」と気軽にオファーをくれたので、「とりあえず、LAでお願いします」と答えて握手を交わした。
たくさんの人にお世話になって、ぼくの「アメリカ放浪記 第3章」がスタートすることになる。どんな旅になるか、乞うご期待!
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