スタイリングにも十分な拘り
先に紹介したように、クーペとLBでは全長に50mmの差がありました。それはLBのスタイリングを実現する上で見逃すことのできないものでした。少し詳しく解説しておきましょう。50mmの内訳ですが、フロントのオーバーハングが70mm延長され、反対にリヤのオーバーハングは20mm短縮されていました。
70mm延長されたフロントオーバーハングでは、バンパーが前進しサイズもアップしています。クーペではスラントしていた車幅灯が大型化して直立。さらにボンネットも前端が持ち上がり気味に前進し、結果的にヘッドライトは“奥目”となった印象がありました。ちなみに、1974年のマイナーチェンジではクーペのフロント部分がLBと同様なスタイリングに変更されています。
一方、リヤビューはLBの大きな特徴ともなりました。テールランプは5分割となり、もっとも外側にターンシグナルランプ、いわゆるウインカーの橙色で、内側4本は尾灯&ストップランプの赤色。さらにその内側にバックランプが装着されていたのですが、この5分割のテールランプがバナナの房のように見えることから、 “バナナテール”あるいは“バナナ・セリカ”と呼ばれています。
ちなみに、1975年のマイナーチェンジで5分割から3分割に変更されてしまったので、マイナーチェンジ前の初代モデル(前期型のみ)を指してこう呼ばれています。また、クーペも初期モデルはテールライトが赤色のワンピースで“ワンテール”と呼ばれていましたが、1972年のマイナーチェンジでウインカーの橙色部分が独立しています。テールライトの解説だけでこんなに話が広がるのは、さすがセリカ、ですね。
そしてレースでも大活躍
セリカLBはモータースポーツ、とくにレースでの活躍が目立った1台です。1970年に登場したクーペのころからレースに出場し、同じ2T-Gエンジンを搭載するカローラ・レビン/スプリンター・トレノとの同門対決は、脚の優れたセリカ vs 軽くて動力性能にアドバンテージのあるレビン/トレノ、という図式で激しいバトルが繰り広げられ、ツーリングカーレースの1.6Lクラスは注目を集めることになりました。
その後、テンロク・クラスはレビン/トレノに任せ、セリカは2Lクラスへとステップアップしていきます。このときはクーペモデルでも参戦でしたが、スカイラインGT-R vs マツダRE軍団の激しいバトルの陰に隠れる格好で、なかなか存在感をアピールすることができませんでした。
そこでツーリングカーからレーシングカーへと一歩踏みこんだマシンが開発されることになり、LB1600GTをベースに2T-G+ターボを搭載したRクラスのセリカLB1600ターボが製作され、1973年の富士1000kmレースでは高橋晴邦/見崎清志組が総合優勝を飾っています。さらに、トヨタ系の有力チーム(サテライトにして準ワークス、時々ワークス)であるトムスでは、1979年にドイツの名門シュニッツァーが製作したセリカLBターボを国内レースに持ち込んでいます。
これはドイツ・トヨタがチューナーとして知られるシュニッツァーに依頼して製作されたグループ5、いわゆるシルエットフォーミュラ。搭載するエンジンは18R-Gユニットを2090cc(ボア×ストローク=90.0mmφ×80.0mm)まで排気量を拡大し、シュニッツァーが独自開発した16バルブ・ヘッドと組み合わせ、さらにKKK製のインタークーラー付きターボで武装したもので最高出力は560psを捻り出していました。
このパワーからすれば連戦連勝間違いなし、と言いたいところでしたがトムスに引き渡された状態では、パワーを生かすためのパッケージが未完成と言ってもよい状態で、トムスでは動力系をすべて見直す作業を進めることになりました。
そしてその甲斐あって1979年9月の富士インター200マイル(富士GCのシリーズ第3戦)のスーパーシルエット・レースでは、2位に10秒以上の大差をつけぶっちぎりで優勝しています。