70年代にフィアット大衆車の主翼を担った「127」
わが国でフィアットと言えば、まず思い浮かぶのは新旧の「500」、2代目と現行の「チンクエチェント」だろう。「自動車趣味物件」の筆頭として高い知名度とともに多くのクルマ好きに支持されているチンクエチェントだが、もちろんイタリア最大の自動車メーカー、フィアットが送り出してきた名車は500だけではない。こちらでご紹介するフィアット「127」もまた、同社を代表する小型車として忘れることのできない1台だ。
名匠ジアコーザによる最終期の「作品」
コスト的にもさまざまな制約に縛られる小型車・大衆車は、各メーカーの思想が明確に表れ、設計者にとっても腕の見せ所である。イタリアのフィアットで戦前から辣腕を振るった名エンジニア、ダンテ・ジアコーザが手がけた歴代の小型車もまた、時代とともにそのアプローチに変遷を見せていて興味深い。
2代目「500」やその兄貴分にあたる「600」、そして「850」はいずれもRRと、小型車には一貫してリヤエンジン・リヤドライブ方式を採用してきた戦後のフィアットだったが、一転してフロントエンジンの前輪駆動(FF)を採用したのは1969年の「128」から。そして今回ご紹介するフィアット「127」は、彼が直接手がけた最終期の「作品」といえる。
イギリスのアレック・イシゴニスが1959年の「ミニ」で先鞭をつけたフロントエンジンの前輪駆動方式だが、エンジンとトランスミッションを上下2段としたイシゴニスの「2階建て」方式とは異なり、ダンテ・ジアコーザはエンジンとトランスミッションを一直線に配置。1964年のアウトビアンキ「プリムラ」で採用されたこの方式は「ジアコーザ式」と呼ばれ、やがてこちらが前輪駆動車の一般的な形式となっていった。
まずは傘下のアウトビアンキ・ブランドのプリムラでノウハウを蓄積したフィアットは、1969年の128に続き1971年、満を待してFFの主力小型車127をデビューさせる。ちなみに127は1972年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。これは1970年に受賞した128に続いての快挙であった。
粋なサンデー・レーサー仕様で遊ぶのもイタリア流
今回ご紹介するこちらのフィアット127は1972年式で、ヒルクライム競技などの参戦を前提に、競技車両としてイタリア本国で仕上げられた個体だ。排気量の拡大やハイリフト・カムシャフトへの交換、キャブレターをウェーバー製にするなどのチューニングが行なわれており、ノーマルの903cc・47psから1050cc・75psにまで高められている。当然ながら増大したパワーに対応して、足まわりやブレーキも強化。
運転席と助手席はバケットシートに交換され、その後方には消火器も備える。内装が剥がされリヤシートもオミットされた室内にはロールケージが張り巡らされ、リヤの両サイドとテールゲートのウインドウもアクリル製に交換されるなど、軽量化にも余念はない。イタリア製小型車は、こういったモディファイがじつに様になる。
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128とともにフィアットの前輪駆動化シフトの鏑矢となった127は1977年まで生産され、大フィアットのロワー・グレードを支えるという大役を見事にこなした。そんな127はまた、かつての500や600などと同様にサンデー・レーサーたちの格好の相棒にもなったのだ。
財布の軽い若者やヤング・アット・ハートなお父さんが、手頃な大衆車をベースにコツコツと手を加え、週末のアマチュア競技会に出かけていく……。そんなイメージに仕上げられた旧き佳き「サンデー・レーサー仕様」を手に入れて遊ぶという選択は、じつは想像以上に現実的で健全な「贅沢」といえるのではなかろうか。
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