コロナと決別し、一層上級にシフト
初代モデルの登場から4年を経た1972年1月、マークIIは最初のフルモデルチェンジを受けて2代目に進化しています。初代モデルがT60/70系と、コロナ(3代目がT40/50系、70年に登場した4代目がT80系)と共用していた型式名がX10/20系へと変わったことからも分かるように、2代目マークIIは、コロナとは決別。より上級セダンを目指すことになりました。
それを端的に表していたのは6気筒エンジンを搭載した「Lシリーズ」の登場です。これはクラウンの基幹エンジンとなっていたM型に電子制御式燃料噴射(EFI)システムを組み込んだM-E型(排気量はM型同様1988cc/最高出力135ps)や、M型にツインキャブを組み込んだM-B型(同じく1988cc/125ps)を搭載したもの。日産がスカイラインGTで先鞭をつけ、また2代目マークIIに続いてブルーバードUやローレルで展開することになる手法でした。
ちなみに、スカイラインGTやブルーバードUでは4気筒モデルに比べてホイールベースがストレッチされていましたが、マークIIやローレルでは6気筒モデルも4気筒モデルと同じホイールベースとなっていました。また初代モデルに搭載されていた4気筒エンジンは7R型が1.7Lの6R型(排気量は1707cc:φ86.0mm×73.5mm/最高出力95ps)に、8R型が2Lの18R型(同じく1968cc:φ88.5mmφ×80.0mm/110ps)に、それぞれ排気量を拡大。さらにホットモデルの「2000GSS」にはツインカムヘッドを装着した18R-G型(排気量は18R型と同様で最高出力は145ps)が与えられています。
シャシーに関してもブラッシュアップされています。フロントサスペンションのダブルウィッシュボーン式は初代から継承していましたが、リヤは同じリジッド式ながら、初代がアクスルをリーフスプリングで吊っていたのに対して、2代目ではアクスルを4本のリンクでコントロールし、それをコイルスプリングで吊るシステムに進化していました。
このように2代目はコロナと決別し、ある部分ではクラウンに匹敵しながらも、よりパ-ソナルな味付けの「ハイオーナーカー」へと進化していったのです。
モデルチェンジのたびに姉妹車も増加
2代目マークIIは1976年12月のフルモデルチェンジで3代目に進化しています。エンジンラインアップは2代目よりもさらに上級にシフトし、メインとなった6気筒は2Lと2.6L、4気筒も2Lのみとなり、サイズアップしたボディも5ナンバーのフルサイズセダンになっていました。2.6Lの4M-U型(排気量は2563cc:φ80.0mm×85.0mm/最高出力135ps)を搭載した3ナンバーモデルが登場したことが大きなエポックとなりましたが、それに呼応するようにシャシーもブラッシュアップされたのです。
サスペンションはフロントがマクファーソン式に一新されるとともにリヤも、上級モデルではセミトレーリングアームを使用した独立懸架に。ちなみに、ベースモデルでは先代から踏襲した4リンク+コイルのリジッドアクスル式で、ステーションワゴンとバンではリーフ・リジッド式となっていました。
もうひとつ、忘れるわけにいかないビッグニュースがありました。それはデビューから半年後、1977年6月にバッジエンジニアリングで姉妹車の「チェイサー」が誕生していることです。1980年に行われた次のフルモデルチェンジでは、三つ子車となる「クレスタ」も登場。以後はマークII/チェイサー/クレスタの3姉妹で「ハイオーナーカー」、いや「ハイソカー」のブームをけん引していくことになります。
国内がバブルの好景気に沸くという社会背景も手伝って、このブームは1990年代半ばまで続いていくのですが、バブル崩壊を受けてブームも失速。2000年に登場する9代目マークIIからはチェイサーやクレスタがモデル廃止となり、マークIIはふたたび独り立ちし、マークXにバトンを渡すことになりました。