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カー・オブ・ザ・イヤーを獲った「フィアット124」をカフェレーサー仕様でサラリと乗るのがおしゃれ! 地味セダンの魅力とは?

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 宮越孝政

質実なイタリアン大衆車の1960~70年代の主役だった

 かつては「500(チンクエチェント)」、「600(セイチェント)」、「850」、「1300/1500」……と、排気量がそのまま車名となっていたフィアットだったが、1960年代後半からはメーカーの開発記号を車名とする命名方式に改める。1970年代を見すえ、それまでの戦後世代の流れを一新すべく採用されたその新たな車名を最初に名乗ったのが、「フィアット124」だ。124ベルリーナ(セダン)のデビューは1966年の4月。その後、後任の「131」にバトンタッチする1974年までの期間、10年近くにわたり生産されるロングセラー・モデルとなった。

21世紀に復活した「アバルト124スパイダー」のルーツ

 フィアット124のラインアップには「ベルリーナ」(セダン)、「ファミリアーレ」(ワゴン)のほかに、「スポルト・クーペ」や「スポルト・スパイダー」といったスポーティな派生モデルも存在した。それらスポルト系はベルリーナの生産が終了した後も生産が続けられ、とくにスパイダーはじつに1985年まで生産が続けられた。

 わが国でフィアット124というと、オープン2シーター・スポーツの「124スパイダー」の方が有名だが、それはやはり生産期間の長さゆえ。また、近年マツダ・ロードスターの姉妹車「アバルト124スパイダー」として復活したことも大きな話題となった。そんな124だが、今回の主役は124のベルリーナである。

世界各国でライセンス生産されたグローバルなヒット車

 1960年代後半、フィアットはそれまでの同社製小型車の基本フォーマットと言えるリヤエンジンの後輪駆動モデルに代えて、BMCの「ミニ」が先鞭をつけた横置きエンジンの前輪駆動車の開発を進めていた。だが、中級以上のモデルではまだコンベンショナルなFR方式の採用を続けており、この124もごく一般的なFRセダンとして生まれた。

 ごくオーソドックスな成り立ちながら合理的なデザインの軽量ボディ、ブレーキにはいち早く四輪ディスクが奢られるなど、そのバランスの良さが評価され、デビュー翌年の1967年にはフィアット初のカー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた124ベルリーナ。イタリア国内はもちろん、ソ連/ロシアをはじめとする多くの国でもライセンス生産が行われ、一部の国では2012年まで生産が続けられたという。

 バリエーション・モデルのスパイダーやクーペのような華やかさはないものの、イタリア本国はもちろん世界中で親しまれた。そして、構造がシンプルで生産台数が多いということは、アマチュアがモータースポーツを楽しむ素材としてもうってつけの存在ということだ。

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