マインズが手掛けたGT-Rデモカーは12台
ついにBNR32型GT-RでGTS-Rでの苦労が実を結ぶ。多くの人たちの念願だった第2世代GT-Rの登場に、VXロムは万全の体制で臨むことができた。
「何しろVXロムだけで最高速は290km/h台、ゼロヨンは11秒台をあっさり叩き出しました。GTS-Rでやり尽くしたことは無駄ではなかったんです」
この衝撃が瞬く間にチューニング好きに知れ渡り、VXロムというコンピュータチューニングに関心が向けられる。同時にマインズの知名度も跳ね上がることとなった。
最初のBNR32のデモカーはガンメタだった。ほとんどノーマルでVXロムの実力をアピールする車両だと言える。その後、NISMO、N1と順番に手を加えていき、合計3台のBNR32がデモカーとして活躍した。続くBCNR33では2台、BNR34では4台、そしてR35では3台、新倉代表はトータルで12台ものGT-Rをデモカーとしてプロデュースしている。
「GT-Rのデモカーでマインズの実力が上手く表現できました。R32はスパルタンで、R33はラグジュアリー、R34はスマート、そしてR35はアダルト。それぞれに味があり、どれもが大切な作品です。コンピュータばかりでなく、クルマ作りそのものを学ばせてもらった、わたしにとっての財産です」と新倉代表。特にR32のデモカーには思い入れが強い。
「何しろ、それまでの努力がすべて反映できた、マインズにとっての出世作みたいなものですからね」
出世作となったBNR32 N1の凄さ
中でもBNR32 N1ベースのデモカーは新倉代表の理想に限りなく近いキャラクターに仕上がっている。マインズはオープン当初からシンプルメイクでスマートなチューニングを心掛けてきた。R32が登場してからは、さらにノーマル風を貫いてきた。もちろんチューニングはしているが、エンジンルームを見ただけでは純正との違いがわからないようなモディファイに拘った。
タービンはノーマルと同じような外観を持つT3の羽根やアクチュエータを加工して、風量やブーストを上げている。450psくらいしか対応できないエアフロは、外観は純正と同じながら600psまで対応できるものを開発。ちなみにほかのショップはZ32用の純正エアフロを二つ使って対応していたが、それよりも全域にわたってキメ細かく制御できるそうだ。それに大容量のインジェクターと強化燃料ポンプ。このセットをVXロムで繊細にコントロールしていく。
この威力が壮絶だった。エンジンルームを見る限りノーマルだから驚く。パワー的には500psちょっと。とにかく扱いやすさを追求した柔軟な特性に仕上げた。谷田部での最高速は305.52km/hをマーク。ゼロヨンは11秒153。10秒台も夢ではない実力だ。時は1992年。四半世紀も前だということを鑑みると、とてつもないポテンシャルということは間違いない。
新倉代表は谷田部でのテストではカジュアルな服装で、データの違う何種類かのロムを持ち込み、クルマのコンディションを確認しながらコンピュータの基盤に差し換えて調子を整えていく。このスタイルが定着した。ツナギを着ないチューナー、それが新倉流だ。
これでもかというほど、エンジンルームにパーツを詰め込んだチューニングカーを尻目に、ノーマル然としたエンジンルームのマインズR32は悠然と圧倒的な速さを実現させる。
「ノーマルであの速さは出せない。インチキだ」という声も聞こえてきた。もちろんノーマルなんかじゃない。ノーマルを装ったチューニングカーなのだ。当時はそれがマインズの作戦であるから、詳細をライバルたちに打ち明けられるはずがない。ノーマルのようでいて、内に秘めた隠しきれない実力がほとばしる。N1ベースのマインズ号は独特の存在感を醸し出していた。
筑波サーキット1分切りの快挙を遂げる
新倉代表はBNR32のN1レースにも携わった。ALTIAファルケンGT-Rを通じてコンピュータの役割や、レーシングマシンの仕立て方といった、ストリートチューニングとは次元の違う世界を知った。これが新たなるステップアップに弾みをつけたのだ。その経験は確実にデモカーにも生かされた。
1995年6月、N1ベースであるR32のデモカーが筑波サーキットで1分切りの快挙を成し遂げる。59秒783。ドライバーは桂 伸一氏が務めた。マインズのクルマを知り尽くしている人物だ。
「もちろんゼロヨンや最高速も偉大ですが、筑波の1分切りはそれらとは別物です。どっちが偉いかなんて決められません。それでもVXロムが、サーキットでも通用することが証明できました。ずっと狙っていたのでうれしかったし、感動もした。でも今、当時を回想していたら、『ホッとした』という言葉がぴったりくるように思います」
N1ベースのR32デモカーはマインズにとって記念すべき1台となった。それまでの苦労、悔しい思いを越えて、結果を出した達成感と安心感は、今でも新倉代表の心に鮮明に残っている。
(この記事は2018年6月1日発売のGT-R Magazine 141号に掲載した記事を元に再編集しています)