ポルシェ中興の祖「カイエン」のデビューから20年
初代ポルシェ「カイエン」がお披露目されたのは2002年10月のパリ・モーターショーでのこと。早いもので20年、長い目で見たらカイエンは、ポルシェ市販車の中興の祖といえそうだ。当時は「911」と「ボクスター」のみというスポーツカー一本槍だったメーカーが出した初の5ドアモデルで、今や「マカン」という弟分の派生SUVまで生み出し、ポルシェの販売台数の底上げに多大な貢献を果たしたのだ。
2006年から始まった「トランスシベリア・ラリー」
ハイエンドSUVといえば、それまでは「レンジローバー」が独占的なポジションにあり、BMWの「X5」やメルセデス・ベンツの「MLクラス」(現GLE)が参入して流行り出したセグメント。そこでカイエンは高級車としての資質のみならず、パフォーマンスの上でもポルシェであることを証明せねばならなかった。それが2006年から始まった大陸横断ラリー、「トランスシベリア・ラリー」への参戦だった。
初年度は2台。ポルシェのエンジニアで、カイエンSを隅々まで知るユルゲン・ケアンがロシア人のコ・パイと組んで一応ワークス体制とし、もう1台はプライベート・エントリーということになっていた。28台が出走するなか、ベルリンからモスクワ、ノヴォシビルスク、モンゴルやイルクーツク、バイカル湖まで、オフロードや渡河、砂や泥を含む1万kmを走破した2台のカイエン2は、いきなり1-2位を独占したのだった。
全面アンダーパネルやルーフ高に上げられたインテークやシュノーケル式エアフィルター、脱出用ウインチといったラリーレイド用のモディファイはなされたものの、ワークス・ファクトリー仕立てはオフロード・テクノロジー・パッケージ込みのエアサス&アンチロールバー、ロック可能なデフといった装備ぐらいで、基本的には市販ストックそのままだった。
オフロードでもポルシェのパフォーマンスを証明した
初参戦の結果に意を強くしたポルシェは翌2007年のトランスシベリア・ラリーでは、26台のカスタマー・レーシングへと参戦体制を拡大。26台のカイエンSはポルシェのサービスを受けながらゴールを目指したが、各チームが独自のペースで各々にルートを選びながら走るようになっていた。
なかには20m以上もジャンプして着地でコントロールを失い、数回転ほどロールオーバーを喫した車両もあった。だが、競技用に追加されていたロールケージのみならず、Aピラー&Bピラーが超高張力スチールで補強されたカイエンのボディの剛性の高さと安全性が、図らずも証明されたという。
初年度のカイエンSとの違いは、前期型(955型)から後期型(957型)へ至るアップデートが図られた仕様だったことだ。NAのV8 4.8Lエンジンは340psから385ps、トルクも420Nmから500Nmに増大していた。また加速を重視してギヤ比が下げられた一方で、アンダーボディやフロントサスのウィッシュボーンが補強され、トレッドも少々拡大。デフロック機構は、オフロード・テクノロジー・パッケージとして市販モデル用と同じものが装備され、ドアパネルやウインドウのシーリングを強化して水深75cmまで車内浸水に耐えられるようにするなど、オフローダーSUVとしての実戦性能がさらに磨き上げられていた。
かくしてカイエンの一団はこの年、トップ10のうち7台を占めるという圧倒的なリザルトを収めた。ちなみに日本からは写真家の小川義文氏がドライバーに、ライターの金子浩久氏がコ・パイとして出走し、総合12位・クラス9位に入賞している。