仕事一筋人間が精力的なクルマ趣味人に転身
愛車マツダ「コスモスポーツ」のハンドルを握って国産旧車の集まるイベントやツーリングに積極的に参加し、クラシックカー・ラリーの世界でも有名人となっている疋野 繁さん。
今でこそ10台以上のクルマを愛用している疋野さんだが、現役時代は仕事一筋人間だったらしく、57歳でリタイアしてから愛車を増やしていったのだという。そんな遅咲きのクルマ趣味人は現在68歳だ。
コスモスポーツを皮切りに毎年1台ペースで趣味車を増車
退職してから国内外の趣味車を矢継ぎ早に買い、その後も縁あってお話が来た新旧の魅力的なクルマをトントン拍子に購入していったとのことだが、それまでは1989年10月に登録したシルバーのユーノス「ロードスター」だけが遊びグルマだった。初代ロードスターが主役で、脇役のいないシンプルなカーライフを送っていたのだ。
愛車の数が一気に増えた経緯が気になったので、疋野さんの夢がグッと膨らみ、ビッグバンのごとく大爆発したプロセスを訊いてみた。
「良質の旧車がタイミングよく出てこなかったということもありますが、働いていた頃は仕事が忙しくて、自動車趣味生活を楽しんでいる時間的、精神的な余裕がまったくなかったんです。ですから、リタイアして時間を自由に使えるようになり、愛車探しを開始してみました。そうしたら、良質の1969年式マツダ・コスモスポーツが出てきたので、このクルマを2012年に購入しました。その後、コンディションのいい1965年式トヨタ・スポーツ800も見つけることができたので、長年憧れ続けたヨタハチを2013年に買いました」
いやはや、なんともスゴイ勢いである。コスモスポーツとヨタハチを迎えてからも、疋野さんのクルマ趣味は止まることがなかった。
「その後、魅力的なクルマが次から次へと出てきたこともあり、ヨタハチを購入したのと同じ2013年の夏に、昔から欲しかった1991年式ポルシェ911カレラ2(964型)を買い、その翌年に1992年式ホンダNSX、さらに次の年に1970年式のマツダ・コスモスポーツを増車しました。そして、2016年に新車のホンダ・シビックタイプR、その翌年に現行NSX、2018年に1958年式トライアンフTR3Aを買いました」
疋野さんの話をうかがいながら頭の中で購入年度を整理してみたら、2012年から毎年1台ずつ趣味車を増車しているのだった。その流れとシンクロする形でガレージを新設し、置き場所が足らなくなったら再び土地を確保し、ガレージを増設していった。
全国のクラシックカー・ラリーを元気に走り回る
縁あって購入できたクルマたちばかりなので、どのクルマにも同じ量の愛情を注いでいるが、さすがの疋野さんも身体はひとつ。やはり、よく乗るクルマと、あまり乗らないクルマがハッキリしている。大まかに仕分けすると、前者は自身初の旧車として購入したコスモスポーツで、後者はそれ以外のクルマということになる。
何故にコスモスポーツにばかり乗っているのかというと、疋野さんは同車でクラシックカー・ラリーに参戦しており、ヨタハチよりも足が速いコスモスポーツで走る機会のほうが圧倒的に多くなっているのだ。
「かつて主催者のご厚意で、初代ロードスターでクラシックカー・ラリーに2回ほど参加させてもらい、1000分の1秒単位で計測する基準タイム走行の楽しさを知ることができました。コスモスポーツを買ってからは、それまで以上に積極的にエントリーするようになり、北海道や九州を舞台としたクラシックカー・ラリーにも参加するようになりました」
クルマ趣味を次の世代につないでいくために
コスモスポーツでクラシックカー・ラリーに参戦する一方、疋野さんはクルマ好きを増やす目的で、愛車を後進に譲ったり、ガレージをクルマ仲間に使わせてあげたり、旧車で行くグルメツーリングを企画したりしている。
「私も、もう68歳。終活というわけではありませんが、愛車をお譲りしていくことを数年前から考え始めました。それで、ですね、一個人が趣味で持っているクルマは売るときに欲をかいてはいけないんです。私は購入したすべてのクルマをきっちり仕上げますが、あくまでも貴重な工業遺産を後世に遺したいという想いで直しているので、かかったコストを後進に譲る際にのせたりはしないわけです。ヒストリックカーは、一生大事にしてくれる、所有する素養がある人に譲りたいですね」
筆者にはコスモスポーツやヨタハチを引き受けられるほどの素養はないので、疋野さんが初代ロードスターを後進にバトンタッチしてもいいいいかな、と思い始めた頃にガレージを再訪することにしよう。