ソフトな乗り心地と軽量化を両立できる方式を採用
世界で唯一、ロータリー・エンジンの量販を実現したマツダが、ハイエンドモデルとして1969年に市販したルーチェ・ロータリークーペ。三角窓を廃した2ドアのハードトップで、現代にも通用するスタイリングのプレミアムなパーソナル・クーペでした。今回は、そんなルーチェ・ロータリークーペを振り返ります。
プロトタイプでのモーターショー展示を繰り返して誕生したプレミアム・クーペ
軽自動車のR360クーペで1960年に4輪乗用車市場に進出したマツダ(当時は前身の東洋工業)は、軽乗用車初の4ドアもラインアップするキャロルを1962年にリリース(4ドアは翌1963年に追加設定)。1964年には小型乗用車で大衆車マーケットに向けたファミリア、そして1966年にはミディアムクラスのルーチェ、と着々とラインアップを拡充していきました。
その一方で、ドイツ(当時は西ドイツ)のNSU社から基本特許を購入したヴァンケル・エンジン(日本国内ではロータリー・エンジン「RE」の呼称が一般的)を熟成して商品化を図り、1967年には初のRE搭載車となるコスモスポーツをリリースしています。
コスモスポーツはマツダのフラッグシップ、というよりもREの宣伝広告塔としての意味合いが強かったのです。148万円という価格は、2カ月前に発売され、当時国内最高のスポーツカーとされていた日産のダットサン・フェアレディ2000の88万円に対して1.7倍近くも高価で、結果的には6年間で1176台が生産されたにすぎません。
そんなファミリア・ロータリークーペのプロトタイプが“RX85”の名で参考出展されていた1967年の東京モーターショーで、その隣のターンテーブルに“RX87”のタイプ名で出展されていたプロトタイプが、今回の主人公であるルーチェ・ロータリークーペの原点でした。
ベルトーネのデザインをベースにしたルーチェと共通のコンセプトで仕上げられた2ドアクーペ……センターピラーと三角窓を廃したハードトップのスタイリングは今の感覚で見てもフレッシュでクリーンにまとまっている印象です。
ただ“RX85”が、ほぼそのままファミリア・ロータリークーペとして市販化されたのとは異なり、“RX87”はいくつもの変更を重ねて市販化。スタイリングでいうなら1967年の“RX87”は、同世代のシボレー・カマロRSやクライスラーのマーキュリー・クーガーなどのように、ラジエターグリルが車幅いっぱいに拡大され、横方向の桟がヘッドライトを覆っていました。またこのときにはまだ、三角窓も残っています。
翌1968年の東京モーターショーにも“RX87”は参考出品されることに。この1968年度版の“RX87”ではグリルの幅が狭くなって丸形4灯式ヘッドライトが顔を覗かせていたのが前年版との最大の相違点で、三角窓も取り払われルーフもレザートップの加飾が施されていました。
メカニズム的には、リヤサスペンションがラバースプリングを使ったものから一般的なコイルスプリングで吊ったセミトレーリングアームに変更され、タイヤも14インチから15インチに格上げされています。
ベースとなったルーチェのセダンとはフロアパンが一新され、前輪駆動を採用
それでは1969年に市販されたルーチェ・ロータリークーペのメカニズムを紹介していきましょう。搭載されたエンジンは、専用設計で13A型を名乗る水冷直列2ローターRE。排気量は1310cc(655cc×2ローター)で最高出力は126psでした。
専用設計とされたのは、駆動レイアウトがフロントアクスルの前にエンジンを縦置きとする前輪駆動を採用していたから。このパッケージングでは搭載されるエンジンは、フロントのオーバーハングに張り出す恰好となるだけに、その全長をなるべく短くしたかったから、というのが最大の理由だったようです。
普通のレシプロエンジンでは、排気量はボアのサイズで決まるピストン・トップの面積とストロークをかけ合わせて算定しますが、ロータリー・エンジンの場合は単室容積(=燃焼室の最大値-燃焼室の最小値)×ローター数となっています。ローターの厚みを増すことでも排気量は拡大できますが、これはレシプロでいうならボアを拡大するようなもの。
一方レシプロでいうところのストロークを上げるような手法が、この13Aエンジンの排気量を引き上げた手法で、具体的にはローターの外径とローターハウジングの内径をサイズアップしていました。こうすることで全長を長くすることなく排気量を拡大することが可能になったのです。ちなみに1967年デビューのNSU Ro80も、2ローターREをフロントに縦置きマウントした前輪駆動を採用していました。
ボディスタイリングは、1966年に登場したルーチェの4ドアセダンがベースになっています。先にも触れたようにルーチェの4ドアセダンはスタイリングをイタリアのベルトーネに依頼し、当時チーフスタイリストを務めていたジョルジェット・ジウジアーロが手掛けていました。その4ドアセダンのデザインをベースに、マツダの社内でデザインされたモデルがロータリークーペでした。
とは言うものの、全長×全幅×全高の3サイズとホイールベースが4ドアセダンの4370mm×1630mm×1410mm/2500mm、からロータリークーペでは4585mm×1635mm×1385mm/2580mmと、全長とホイールベースが、それぞれ215mm/80mmもサイズアップ。しかも4ドアセダンがコンベンショナルな後輪駆動だったのに対して、ロータリークーペは、当時はまだまだ先進的に過ぎた前輪駆動でしたから、クルマとしてトータルで考えるなら、両車は似て非なるもの、というべきかもしれません。
ちなみにサスペンションは4ドアセダンがダブルウィッシュボーン/リーフ・リジッドだったのに対してロータリークーペはダブルウィッシュボーン/コイルで吊ったセミトレーリングアームとなっていました。フロントサスペンションはともにダブルウィッシュボーンでしたが、4ドアセダンがコンベンショナルなコイルスプリングで吊るスタイルだったのに対し、ロータリークーペではナイトハルト式トーションラバースプリングが用いられています。
これは軽乗用車のR360やキャロルで使用されてノウハウが蓄積されていたもので、ソフトな乗り心地と軽量化を両立できる方式とされていました。ただし、ルーチェ・ロータリークーペに関して言うなら、こうしたメカニズムを云々する以前に、まずはジウジアーロが手掛けた(4ドアセダンをベースにマツダ・オリジナルで仕上げた)スタイリングの2ドアクーペありき、で始まったプロジェクトとすればその立ち位置がより明快になります。
新旧さまざまな、そして個性的……つまりはコンベンショナルでもコンサバでもないメカニズムが盛り込まれていることも、ルーチェ・ロータリークーペをマツダのロータリー・ラインナップのフラッグシップに位置づけようとするものだったのではないでしょうか。
いずれにしても、中学生のころ、兄が買ってきた自動車雑誌でルーチェ・ロータリークーペの写真を初めて見たときの感動は、それまでの人生で五指に入る強烈なもので、そのスタイルに心躍らされる感は今も続いています。