テーパード・モノコックにインボードサス
黎明期のFL500マシンは、いずれも角パイプを溶接して組み立てる鋼管スペースフレームを採用していました。そしてそれはやがて、アルミパネルを張り付けたセミ・モノコックフレームへと移行し、さらにアルミパネルのツインチューブで構成されるモノコックフレームへと進化していきます。
FL500が始まった当初は、まだまだ鋼管スペースフレームが主流でした。大阪に拠点を置くハヤシレーシングの処女作、702Aは鋼管スペースフレームを採用していました。一方、関東の雄、鈴木板金のベルコ96Aは、モノコックフレームを採用していました。量販を考えると、モノコックフレームの方が理に適っていますが、まだ黎明期のFL500にモノコックフレームを採用した辺り、鈴木板金の気合の高さが窺えます。
それはともかく、鈴木板金で修業してクルマ作りを習得した神谷さんは、オリジナルマシンの第1号となるベルコウエスト759に、迷うことなくモノコックフレームを採用。もう少し詳しく言うなら3/4モノコックで、その後方にエンジンを搭載し、サスペンションを取り付けるためのサブフレームが組まれています。
これは搭載するエンジンが、ホンダN360用のN360Eであれ、スズキ・フロンテ用のLC10Wであれ、横置きにマウントされていたために、ストレスマウントなど考える余地もなかったため。これに前後ダブルウィッシュボーン式のサスペンションを組み付けるのが、当時のレーシングカーとしてコンサバな設計だったのです。
ただしベルコウエスト759は、各所に最先端のメカニズムが盛り込まれていました。モノコックは、上方から見るとフロントが絞られ、後方にいくにしたがって広がっていくテーパー状になっていて、それは正面から見てもツインチューブの断面が上にいくほど絞られた多角形となっていたのです。
またフロントサスペンションも上下にAアームを持つコンベンショナルなスタイルでしたが、アッパーアームのフロント側はピボット・ポイントからさらに内部に延長され、ロッキングアームとしてインボードマウントされたコイル/ダンパーユニットに作用するスタイルとなっていました。またノーズカウルをスリークなものとし、ラジエターをエンジンの両サイドにマウントしたのも特徴的でした。
ベルコウエスト759のデビュー戦は、1975年の4月に鈴鹿サーキットで開催された鈴鹿ビッグ2&4チャンピオンレースのサポートレースとして実施されたFL500チャンピオンレース。ドライバーは、のちに日本人初のF1ドライバーとなる中嶋 悟さんでしたが、じつはこれがフォーミュラレースは3戦目でした。しかし公式予選で道上佐堵史(道上 龍選手のお父さん)、中本憲吾の両選手に続き3番手グリッドを獲得しています。
残念ながら決勝ではリタイアに終わっていますが、ベルコウエスト759のデビュー戦としては十分に速さを見せつけた格好です。そして同年9月の鈴鹿グレート20ドライバーズレースのFL500チャンピオンレースで初優勝を飾ると、シリーズ最終戦となった11月のJAFグランプリ・レースのFL500チャンピオンレースでは2連勝。見事シリーズチャンピオンを獲得しています。
さらに年が明けた1976年1月のガーネット鈴鹿200kmレースのFL500チャンピオンレースでも中嶋さんとベルコウエスト759は勝って3連勝を飾り、そのポテンシャルを嫌というほど見せつけることになりました。
この1976年にはシャシーはそのままにウイングノーズをスポーツカーノーズにコンバートしたベルコウエスト769が登場していますが、シャシーを一新した後継モデルのベルコウエスト779は1977年にプロトタイプの779Xを経てデビューしています。車名についてはデビューシーズンの西暦の下二けた+車両カテゴリーで表されていて759は1975年のグループ9(フォーミュラ・リブレ)を表していました。