自動車草創期のなかでも群を抜いてユニークなプロペラ車
「風」を動力として利用することは、すでに紀元前から帆船などで行われており、また陸上でも帆船に倣った鉄道や、「ランドヨット」と呼ばれる帆走自動車が実験的に作られてきた歴史もある。しかし20世紀初頭にフランスで製造され、まがりなりにも一定数が量産・市販された「風力(プロペラ)で走るクルマ」は他に例を見ない。それがこの奇妙なプロペラ自動車「レイヤ・エリカ」である。
航空機エンジニアが夢見た「翼のない陸上飛行機」
マルセル・レイヤ(Marcel Leyat)は1885年、フランス南東部の小さな山あいの町に生まれた。若くして航空機製造の技術を学び、1909年にはフランスの大手飛行船/航空機メーカー、アストラ社に入社。飛行機の製造に携わるようになる。当時のフランスは世界有数の航空産業大国で、20歳代の技術者マルセル・レイヤにとっては大変刺激的な日々であったことだろう。しかし1914年に第一次世界大戦が勃発し、好むと好まざるとにかかわらず、飛行機は戦争の帰趨を決する新鋭兵器として、短期間に長足の進歩を遂げる。そして1918年、フランスの属する連合国側の勝利により終戦を迎えた。
そんななか、マルセル・レイヤは終戦翌年の1919年に航空機業界を去り自らの会社を立ち上げる。それは、自身の知識と経験を活かした「翼のない陸上飛行機」の製造・販売を目指したものであった。もしかしたらレイヤーは、個人の裁量が限られる巨大産業へと肥大していった航空機業界よりも、いち技術者としての純粋な「夢」にチャレンジできるプロペラ自動車という分野に、大きなやりがいを見出していたのかもしれない。
車輪で駆動するより機械的ロスが少なく高効率!?
当時の自動車はミッションやデフなどの機械的損失が大きく、航空機業界出身のマルセル・レイヤの目から見ると非常に効率の悪い乗り物であった。そこで彼が考えたのは「車体前部に搭載したエンジンに直接取り付けたプロペラで、飛行機のようにその推進力によって進めば、複雑で機械的損失の大きい駆動系を必要としない軽量で効率の高いクルマが作れる」というもの。
プロペラ自動車のアイデア自体は、マルセル・レイヤ独自の発明というわけではなかったが、航空機の何たるかを熟知していた彼だけに、その理論と完成度には一日の長があったことだろう。そのクルマは「エリカ(Hélica)」という名前がつけられた。エリカとは、螺旋を意味する古典ギリシア語「ヘリクス(hélix)に由来する命名で、ちなみに現代英語の「ヘリコプター(helico-pter)」は「螺旋の(hélix)」+「翼(pterón)」からの合成語である。