次世代へ向けた動力の模索をトヨタは行っていた
トヨタ・スポーツ800とホンダS800は、ともに1960年代後半に市販されたふたり乗りの小型スポーツカーだ。とはいえ、その開発はまったく別の視点で進められた。
トヨタ・スポーツ800は、先にパブリカで搭載された空冷の2気筒700ccのエンジンを基に100cc増大し、最高出力が45psの出力であった。対するホンダS800は、直列4気筒で70psを出していた。排気量1リッターで100psという性能は、相当高水準である証なのだが、ホンダS800は1Lあたりに換算して87psに近い水準であり、かなりの高性能であったといえる。
軽量化と空気抵抗にこだわったトヨタ・スポーツ800
では、トヨタは45psのエンジンで、どのようなスポーツカーを思い描いたのか。答えは、軽量化と空気抵抗の小ささによる高速の追求だ。そして最高速度は155km/hであったという。ちなみに時代は遡るが、ポルシェ初のスポーツカーである356の最高速度は135km/hであった。空力の追求では、トヨタ・スポーツ800の前身ともいえる東京モーターショーに参考出品されたパブリカ・スポーツが、まさに航空機のキャノピーを思わせる客室形状だった。
軽量化と空力を突き詰めたトヨタ・スポーツ800と、高性能エンジンを搭載したホンダS800は、レースの場でもよき競合として戦った。
それとは別に、1977年の東京モーターショーに出展されたのが、トヨタS800のガスタービンエンジン車だった。タービンエンジンは、航空機に使われるジェットエンジンと同様に、回転軸に並べられた翼を回転させ、出力を得る。一定回転で運転するには効率的だが、クルマのように頻繁に加減速する使い方にはあまり向いていない。それなのになぜ、トヨタ・スポーツ800にタービンエンジンを搭載したのか。じつは、それはモーター駆動によるハイブリッド車だったのだ。
ただし、今日のトヨタ・ハイブリッド・システムのように、エンジンとモーターを併用して駆動するのではなく、発電用にタービンエンジンを用い、駆動にモーターを使う方式だ。現在でいえば、日産のe-POWERのような利用の仕方だ。
1970年代には2台のガスタービンハイブリッド車が開発されていた
じつは、トヨタ・スポーツ800の2年前となる1975年の東京モーターショーで、トヨタは最上級車のセンチュリーでガスタービンハイブリッド車を試作し、出展していた。当初はシステムが大掛かりとなるためセンチュリーで始められたのではないか。その後、トヨタ・スポーツ800での開発は、システムを小型化し、普及させる考えがあったのではないかと推察される。
1970年から始められた排出ガス対策がひと段落しようとした時期に2台のガスタービンハイブリッド車は開発されており、次世代へ向けた動力の模索をトヨタは行っていたといえる。しかも、開発の始まりは1965年というから、排出ガス規制より前から試行錯誤は続けられていたことになる。
そこからまったく別の方式となって、1997年に初代プリウスが誕生し、世界初の量産市販ハイブリッド車が実現したのである。