ピアッツァ登場時の佇まいをキープしたグッドコンディション車
いすゞ「ピアッツァ」の第1世代モデル(JR120/130)のオーナーを対象に開催されている「PIAZZA meeting」。2022年10月16日に朝霧高原もちやの駐車場で開催された26回目のミーティングから、気になるピアッツァとオーナーさんをご紹介しよう。
40年乗り続ける、フェンダーミラーの初期モデル
フェンダーミラータイプのピアッツァ最初期モデルとなるXLを1982年に購入したという、長谷川文昭さん。当時のいすゞの社長の、「お客さまに長く乗っていただけるクルマを作り続けたい」という談話を聞き、いすゞ車の購入を決意。ジュネーブショーで発表されたジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたモデルに興味を持ち、購入車種をピアッツァに決めたのだそうだ。
長谷川さんの購入当時は、1982年3月に同行法が改正され国産車にもドアミラー装着が認められるようになった時期だった。ピアッツァのドアミラー車が出る話も出ていたが、待ちきれずにフェンダーミラーのSOHCエンジン搭載車を購入。翌年にドアミラー車が発売され、フェンダーミラーをドアミラー化する人も多かったそうだが、長谷川さんはあえてフェンダーミラーのまま、現在まで乗り続けている。
走行52万kmのタイミングでエンジン載せ替え
じつは長谷川さん、当初は10万kmほど乗ったら乗り換えるつもりだったそうだが、10万km、10年乗っても何のトラブルもなく、そのまま乗り続けることにしたという。もちろんずっとノントラブルというわけではなく、14万kmでダイナモがパンクして交差点でストップ。それ以降、ダイナモは10万km、クラッチやショックも約8万kmを目安にオーバーホールするようにしているとのこと。ちなみにショックは途中で純正品が手に入らなくなり、オーバーホール可能なビルシュタインに変更したそうだ。
そして52万kmほど走ったころにオイル上がりなどが出て、エンジンを載せ替え。現在オドメーターは58万kmを刻んでおり、パーツの確保なども徐々に難しくなっているが、まだまだ乗り続けるつもりだという。では長谷川さんが、エンジンの載せ替えまでして、ピアッツァに乗り続ける理由はなんなのだろうか?