1899年に105.88km/hを記録したEV「ラ・ジャメ・コンタント号」
一般的には1885年にゴットリープ・ダイムラー、1986年にはカール・ベンツが相次いでガソリン・エンジンのクルマ(それは補助輪付きの2輪車と3輪車であったが)を「発明」したのが、今につながる自動車の歴史の始まりとされる。とはいえ、19世紀末から20世紀初頭にかけて次々に生まれた「自動車」の動力源がすべてガソリン・エンジンだったかといえば、決してそうではなかった。
19世紀末は多様な動力源の自動車が群雄割拠していた
人々の新たな移動・輸送の手段として欧米で「馬なし馬車」が作り始められたとき、蒸気機関車や大型バスなどですでに実用化されていた蒸気機関や、やはり普及が始まりつつあった電気/モーターがその動力源として、新興勢力たるガソリン・エンジンと覇を競っていた。そんな多様な動力源が拮抗していた自動車の創成期を象徴する1台が、この「ラ・ジャメ・コンタンテ号」と命名された電気自動車だ。
製作者はベルギー出身のカミーユ・ジェナッツィという、エンジニアにしてレーサー。ブリュッセル郊外に生まれたジェナッツィは電気技師としての教育を受けたあと、「カンパニー・ジェネラル・デ・トランスポート・オートモビルズ」を設立。電気自動車事業に乗り出す。
史上初の速度記録会から次々とレコード更新
自動車が生まれて間もなく、その性能を競うさまざまな競技が開催されるようになり、1898年12月にはパリ北部のアシェール公園内道路の3kmにわたる直線区間で、自動車による史上初の速度記録会が開催される。このとき記録を打ち立てたのは、シャルル・ジャントーによって製作された「ジャントー・デュック」というクルマ。ドライバーはフランス貴族にしてレーシング・ドライバーのガストン・ド・シャスルー=ローバ伯爵で、その記録は63.15km/h。このジャントーもまた電気自動車であった。これが史上初の自動車の最高速度記録とされている。
昔も今も、自社のクルマがレースで勝てば大きな話題となる。フランス市場でライバルとなるジャントー社の電気自動車を上まわるスピードを目指し、カミーユ・ジェナッツィは「CGAドグカート」という市販車で記録に挑戦。1899年1月27日、66.66km/hを記録したが、その直後、今度はシャスルー=ローバ伯爵が70.31km/hを記録。さらにその日のうちにカミーユ・ジェナッツィは80.35km/hという、その日最高の速度記録を打ちたてレコード・ホルダーとなった。