スピード特化の「レコードブレーカー」を制作
しかしライバルのジャントーとシャスルー=ローバ伯爵も負けてはいなかった。日を改めた1899年3月4日、ガストン・ド・シャスルー=ローバ伯爵はより高性能の「ジャントー・デュック・プロフィル号」で記録更新に挑み、92.78km/hという記録を樹立。またしても自動車の最高速度記録保持者となったのである。
事ここに至って、カミーユ・ジェナッツィは市販車ベースのマシーンの限界を感じたのかもしれない。捲土重来を期した彼は、スピードに特化した「レコードブレーカー」の制作を開始する。パワーユニットには25kWのダイレクトドライブ・モーター2基を搭載、ガソリン・エンジンに換算して約68馬力を発揮した。魚雷か砲弾を思わせるボディには、軽量・丈夫なパルティニウム合金(アルミニウム、タングステン、マグネシウムからなる)が採用された。また、タイヤはミシュラン製が装着されており、同車はのちにミシュランの広告にも使用されている。
人類史上初の100km/h突破で競争に終止符
1899年4月29日、カミーユ・ジェナッツィはラ・ジャメ・コンタント号でみたび速度記録更新に挑戦。この日、ジェナッツィはついに105.88km/hの新記録を樹立し、彼は初めて100km/hの壁を突破した人類となったのである。この報を聞いたシャスルー=ローバ伯爵も快挙を祝福。こうして、初期の電気自動車による最高速度記録挑戦の物語はひとまず終止符が打たれたのである。
わが国においてはほかのモータースポーツに比べ、レコードブレーカーへの興味は薄いという印象もあるが、逆に欧米では古今のマシンが数多くミニカー化されており、速度記録車は人気ジャンルのひとつであることが窺える。
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最後に、「ラ・ジャメ・コンタント(La Jamais Contente)号」という車名であるが、これはフランス語で「決してあきらめない」という意である。まさに、パイオニアの心意気だ。