チューナーの心に残る厳選のGT-Rを語る【S-power鈴木 満代表】
数え切れないGT-Rを手掛けたチューナーが、今でも思い出に残る1台を語る。GT-Rに対する愛情がさらに深まるような気配りが、今回登場するプロショップ『S-power』鈴木 満代表の得意技だ。扱いやすくて壊れないクルマ作りの徹底は、長くて深い付き合いを生み出していく。今回のBNR32は、その中で特に印象的な1台だ。
(初出:GT-R Magazine 144号)
街中で楽しむ仕様はレース用パーツは使わない
「まわりからはGT-Rの専門店に見られているようですが、そうではありません。何でもやりますよ」と『S-power』の鈴木 満代表。
とは言っても、やはり現実は第2世代のGT-Rユーザーが頻繁に訪れる。速さを最優先させたい人、快適に速くしたい人など、好みや使い方によってオーダーはさまざまだが、共通しているのは、素性の良さを引き伸ばし、より自分らしく仕立てたいという熱い想いだ。
そんなユーザーに鈴木代表は丁寧に対応している。
「うちはチューニングショップだから、皆さん性能を向上させるためにやって来ます。しかし、性能が良いからと街中でレース用のパーツを使いたいと言っても、すんなりは取り付けません。扱いやすさや耐久性を考慮して、手が掛かるようならストリート用を勧めます。なるべくユーザーの希望を優先させますが、メリットとデメリットを説明してもう一度考えてもらいます。それと空力を考えているものは別ですが、見た目だけのエアロパーツは扱いません」
なんだか気難しそうだが心配は無用。あくまでもアドバイスなので「犠牲を承知で使いたい」と言うなら対応してくれる。しかし、その大部分の人は「鈴木代表の言う通りにしておけばよかった」と自分が選んだパーツを装着したことに後悔する。その後は鈴木代表のアドバイスを素直に聞くようになる。そこから長くて深い付き合いが始まるのだ。
鈴木代表が心に残るGT-Rのオーナーもその中の一人。新車で手に入れたというBNR32をS-powerのオープン当初から見始めて、その関係は現在でも続いている。考えてみれば、鈴木代表が一番長く携わっているGT-Rなのだ。
ゼロから学んだチューニングが人生を大きく変えた
S-powerは今から25年前、鈴木代表が39歳のときに立ち上げた。それまではインタークーラーで有名なARCの専務として活躍し、さらにその前は日本のチューニングメーカーの草分け的な存在のHKSに在籍していた。
HKSへの入社は23歳のときで、タイムカードの番号は25番。つまり25人目の社員だった。三菱ディーラーでメカニックとして働いていた鈴木代表が、いったんは整備の仕事から離れたものの、やはりメカニックとしてクルマに触っていたいということで、ディーラー時代の知人にHKSを紹介してもらった。
配属先は「四輪技術部ターボ事業部」。チューニングメーカーとしては花形の開発部門だ。しかし、鈴木代表はクルマは大好きだが、チューニングにはそれほど興味がなかった。しかも三菱車しか知らず、整備していたのはキャブ車ばかり。一方、HKSの当時の開発車両はトヨタと日産がメインで、もちろんインジェクション。鈴木代表にとっては知らないことだらけというわけだ。
「これはとんでもないところに来てしまった」と戦々恐々となったことを今でもはっきり覚えていると、当時を振り返る。
HKSとしては中途半端に知識があるよりも、まっさらな鈴木代表のほうが開発のノウハウを覚えるには適していると考えたのだろう。目の前のことすべてが未知の世界だから、知らないことを素直に質問できる。先入観がないから教えられたことがすんなりと受け入れられるというワケだ。しかし、上手くいくことばかりではなかった。現実はそんなに易しくはない。それでも必死に食らいついていったそうだ。
はじめて製品をイチから任されたのは4A-Gターボキットだ。1.6LのエンジンにギャレットのTO4Bという大きなターボを組み合わせて開発していた。TO4B自体がいきなりパワーを炸裂させるドッカンターボだったこともあるが、それまでに体感したことがない爆発的な加速力が痛快だったそうだ。その反面、油断するとすぐにエンジンブローを引き起こす。開発の神髄は不具合を出さないことであり、いくら目を見張るようなパワーを絞り出したとしてもすぐに壊れるようなら、それはまだ開発途中ということだ。
壊さないためにあれこれと手を尽くす開発の心得は、今でもしっかりと活用している。時が流れてパーツの性能が上がったり、まったく新しいパーツが登場したりしても、基本的な考え方は一緒なのだ。鈴木代表は必ずパーツの役割、仕組みを理解して、狙い通りの効果があるかを確かめてから使うという。