ドイツのロイトLP400を参考に開発
軽乗用車やコンパクトカーはもちろんですが、今ではミディアムカーも前輪駆動、もしくはそれをベースとした4輪駆動(全輪駆動)が当たり前となっています。しかし、普及に至るまでは、技術的な壁が立ちはだかっていたのも事実でした。今回は前輪駆動の発達史、とくに国内における歴史を振り返ってみることにしました。
世界初の自動車事故は“手アンダー”が原因!?
国内における前輪駆動の普及の歴史を振り返る前に、世界の前輪駆動発達史をチェックしておきましょう。世界初の前輪駆動車はキュニョーの砲車(Fardier à vapeur de Nicolas Joseph Cugnot)とされています。これは蒸気機関を備えた大砲運搬用の“トラック”でした。
一軸2輪の荷車の前方に、蒸気機関による駆動と転舵を受け持つ1輪を備えた3輪車でした。蒸気機関をオーバーハングさせて取り付けていることから、車両重量の多くが前輪荷重となってトラクション面では有利だったことは分かりますが、それ以上に転舵が大変だったことは容易に想像できます。
実際、テスト走行ではステアリングが重すぎてカーブを曲がり切れずに壁に激突。これが“世界最初の交通事故”とされていますが、その原因は“手アンダー”だった訳で、これも世界初でした。20世紀に入ると3輪車のファノモビル(Phänomobil)や2輪車のメゴーラ(Megola)などの前輪駆動が登場してきました。
しかし4輪の前輪駆動は簡単にはいきません。それは操舵と駆動を兼ね持つためにはドライブシャフトに等速ジョイントが必要となり、その開発が前輪駆動の普及のネックとなっていたのです。1920年代にはワイスジョイントを筆頭にいくつかの軽便な等速ジョイントが実用化を果たしています。
それに呼応するように、米国人のハリー・ミラーやフランス人のジャン-アルベール・グレゴワールが、前輪駆動によるレーシングカーで見事なパフォーマンスを見せつけたのちにロードカーへ転用。彼らが磨いた技術はコードL29や同810、あるいはトラクタといったロードカーに生かされ、やがて大きなトレンドを生むことになりました。
同じころ、日本国内でもローランド号(筑波号)と呼ばれる前輪駆動車が完成しています。736ccのV型4気筒エンジンを搭載した小型車で、これが国産車において初めて前輪駆動を採用したクルマとされています。
ヨーロッパでは1930年代からドイツのDKWやフランスのシトロエンなどが前輪駆動の小型車を量産するようになり、やがてシトロエンは前輪駆動の専業メーカーとなっていきました。戦後の1959年には英国のBMCがミニを、1964年にはFIATがアウトビアンキを介してプリムラをリリース。これ以降、4気筒エンジンをフロントに横置きマウントして前輪を駆動するスタイルが一般的となりますが、日本ではより小排気量のモデルが軽自動車として独自のカテゴリーを形成していました。
その軽自動車で初めて前輪駆動を採用したのは、1955年に鈴木自動車(現スズキ)がリリースしたスズキ・スズライトでした。ヨーロッパに比べるとクルマの普及率はまだまだで、それに比例するかのようにクルマに関する技術レベルも発展途上だったために、鈴木ではドイツのボルクヴァルト・グループのロイトが製作していたロイトLP400を参考に軽自動車枠のスズライトを開発したのです。
LP400は386cc/最高出力13psの2サイクル2気筒エンジンをフロントに搭載した前輪駆動車で、全長×全幅×全高が3450mm×1405mm×1400mmと、当時の軽自動車規格(エンジン排気量は360ccでボディは3000mm×1300mm×2000mm)に近く、ボディもモノコックではなくセンターチューブ式のフレームが付いたもの。2輪メーカーから4輪に進出しようとしていた鈴木の持っていた技術や工作機械などでもカバーすることが十分に可能と思われたのでした。
そして実際、開発開始から半年ほどたった1954年の9月に試作車が完成。翌1955年7月には量販モデルが完成し、運輸省(現国土交通省)の型式認定を受け、市販に漕ぎ着けています。