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日本初のFFモデルはスズキの軽カー「スズライト」だった!? ホンダや日産の最初のFFカーは?

1955年スズキ・スズライトSLのフロントマスク

ドイツのロイトLP400を参考に開発

 軽乗用車やコンパクトカーはもちろんですが、今ではミディアムカーも前輪駆動、もしくはそれをベースとした4輪駆動(全輪駆動)が当たり前となっています。しかし、普及に至るまでは、技術的な壁が立ちはだかっていたのも事実でした。今回は前輪駆動の発達史、とくに国内における歴史を振り返ってみることにしました。

世界初の自動車事故は“手アンダー”が原因!?

 国内における前輪駆動の普及の歴史を振り返る前に、世界の前輪駆動発達史をチェックしておきましょう。世界初の前輪駆動車はキュニョーの砲車(Fardier à vapeur de Nicolas Joseph Cugnot)とされています。これは蒸気機関を備えた大砲運搬用の“トラック”でした。

 一軸2輪の荷車の前方に、蒸気機関による駆動と転舵を受け持つ1輪を備えた3輪車でした。蒸気機関をオーバーハングさせて取り付けていることから、車両重量の多くが前輪荷重となってトラクション面では有利だったことは分かりますが、それ以上に転舵が大変だったことは容易に想像できます。

 実際、テスト走行ではステアリングが重すぎてカーブを曲がり切れずに壁に激突。これが“世界最初の交通事故”とされていますが、その原因は“手アンダー”だった訳で、これも世界初でした。20世紀に入ると3輪車のファノモビル(Phänomobil)や2輪車のメゴーラ(Megola)などの前輪駆動が登場してきました。

 しかし4輪の前輪駆動は簡単にはいきません。それは操舵と駆動を兼ね持つためにはドライブシャフトに等速ジョイントが必要となり、その開発が前輪駆動の普及のネックとなっていたのです。1920年代にはワイスジョイントを筆頭にいくつかの軽便な等速ジョイントが実用化を果たしています。

 それに呼応するように、米国人のハリー・ミラーやフランス人のジャン-アルベール・グレゴワールが、前輪駆動によるレーシングカーで見事なパフォーマンスを見せつけたのちにロードカーへ転用。彼らが磨いた技術はコードL29や同810、あるいはトラクタといったロードカーに生かされ、やがて大きなトレンドを生むことになりました。

 同じころ、日本国内でもローランド号(筑波号)と呼ばれる前輪駆動車が完成しています。736ccのV型4気筒エンジンを搭載した小型車で、これが国産車において初めて前輪駆動を採用したクルマとされています。

 ヨーロッパでは1930年代からドイツのDKWやフランスのシトロエンなどが前輪駆動の小型車を量産するようになり、やがてシトロエンは前輪駆動の専業メーカーとなっていきました。戦後の1959年には英国のBMCがミニを、1964年にはFIATがアウトビアンキを介してプリムラをリリース。これ以降、4気筒エンジンをフロントに横置きマウントして前輪を駆動するスタイルが一般的となりますが、日本ではより小排気量のモデルが軽自動車として独自のカテゴリーを形成していました。

 その軽自動車で初めて前輪駆動を採用したのは、1955年に鈴木自動車(現スズキ)がリリースしたスズキ・スズライトでした。ヨーロッパに比べるとクルマの普及率はまだまだで、それに比例するかのようにクルマに関する技術レベルも発展途上だったために、鈴木ではドイツのボルクヴァルト・グループのロイトが製作していたロイトLP400を参考に軽自動車枠のスズライトを開発したのです。

 LP400は386cc/最高出力13psの2サイクル2気筒エンジンをフロントに搭載した前輪駆動車で、全長×全幅×全高が3450mm×1405mm×1400mmと、当時の軽自動車規格(エンジン排気量は360ccでボディは3000mm×1300mm×2000mm)に近く、ボディもモノコックではなくセンターチューブ式のフレームが付いたもの。2輪メーカーから4輪に進出しようとしていた鈴木の持っていた技術や工作機械などでもカバーすることが十分に可能と思われたのでした。

 そして実際、開発開始から半年ほどたった1954年の9月に試作車が完成。翌1955年7月には量販モデルが完成し、運輸省(現国土交通省)の型式認定を受け、市販に漕ぎ着けています。

前輪駆動の技術レベルを向上させるとともに、クルマの普及にもひと役買ったスズライト

 市販に漕ぎ着けたスズキ・スズライトは当初、セダン(乗用車)のSSとライトバンのSL、ピックアップ(ボンネットタイプのトラック)のSP、そしてデリバリーバンのSDも追加されたワイドバリエーションの展開を目指していました。基本的なメカニズムは全車共通しており、搭載されたエンジンは空冷の2ストローク直列2気筒を横置きにマウントしています。

 排気量は359cc(ボア×ストローク=59.0mmφ×66.0mm)で最高出力は16ps。ボディはフレーム付きでサスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式の4輪独立懸架と、先進的なスペックを持っていました。発売当初はこれをコイルスプリングで吊っていましたが、国内の道路はまだまだ悪路も多く、耐久性が懸念されたことから、スプリングをコイルから横置きにマウントしたリーフスプリングを使用するように変更されています。

 ボディサイズは軽自動車枠に収まる2995mm×1295mm×1400mmでホイールベースは2000mmと、当時としてはロングホイールベースに設定されていました。特徴的だったのはタイヤサイズが4.00-16-4Pと大径だったこと。これは小径のタイヤが市販されていなかったからで、オートバイにも通じるサイズでした。

 市販が開始された時点ではセダンに加えてライトバンやピックアップもラインアップされていましたが、ライトバン以外のモデルは販売が伸び悩み、1957年には一度、車種整理が実施され、ライトバンのみとなってしまいました。

 そして1959年に行われた最初のフルモデルチェンジでも、ライトバンのみが登場していました。これは商用車ならば物品税が課税されないことで販売価格を低く抑えることが可能になる、というのが最大の理由。そう、20年後にバンモデルのアルトをリリースし、“軽ボンネットバン”という軽の乗用車として新しいジャンルを切り開くことになるのですが、その原点は1959年に登場したスズライトTL原点として存在していたのです。

 スズライトTLには3年後に乗用車モデルのスズライトTLAが追加設定され、前輪駆動の乗用車が復活しています。ただし、1967年のモデルチェンジで登場した後継モデルはフロンテを名乗るもリヤエンジンの後輪駆動に一新されていました。そしてスズライトTLAに代わって前輪駆動の流れを受け継ぐことになったモデルが、1966年の10月にホンダ(本田技研工業)が発表したホンダN360でした。

 軽トラックのT360と小型スポーツカーのS500 で4輪マーケットに進出したホンダは、N360が初の量販モデルとなり、以後も前輪駆動をメインにした商品ラインアップを展開してきました。またN360が発表される半年前に富士重工業(現SUBARU)が発売したスバル1000は、小型乗用車として初の前輪駆動モデルとなっています。

 日産は1970年に発売した初代チェリーで前輪駆動車をラインナップすることになりましたが、トップメーカーのトヨタは、1961年に発売した初代パブリカを当初は前輪駆動車として開発を始めたものの、技術的に困難な問題があるとして途中から後輪駆動に変更して開発を継続。そのまま後輪駆動として発売された経緯があり、実際の前輪駆動車は1978年に登場するターセル/コルサまで待たされることになりました。

 そのころには国内メーカーのほとんどで、小型車は前輪駆動に“宗旨替え”していて、それは今日まで続いており、前輪駆動に関する技術レベルも大いに向上しています。

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