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絶好調ランボルギーニの処女作「350GT」とは? エンツォも悔しがったツインカムV12にアルミボディを採用した意欲作でした

ムゼオ・フェルッチオ・ランボルギーニに展示されているランボルギーニ350GTのヘッドライトは4灯式

手の込んだ製作過程で誕生したボディが特徴的だった

 日本国内では1970年代半ばに第一次ブームが巻き起こった“スーパーカー”。漫画『サーキットの狼』の影響から、主人公がドライブしていたロータス・ヨーロッパの人気も高かったのですが、2トップを分け合っていたのはフェラーリとランボルギーニでした。今回はランボルギーニの処女作、350GTを振り返ります。

スーペル・レッジェーラのボディにV型12気筒ツインカムを搭載

 第二次世界大戦の終戦後、イタリア軍が放出した軍用トラックを民生用に改造して販売し、またその後はトラクターの製造などで財を成したフェルッチオ・ランボルギーニ。フェラーリに対抗する高級スポーツカーを製造すべく、1963年に興したスポーツカーメーカーがアウトモビリ・ランボルギーニ(Automobili Lamborghini S.p.A.)です。

 経営の母体だったトラクター・メーカーのランボルギーニ・トラットリーチ(Lamborghini Trattori S.p.A.)の経営不振の影響を受け、1978年に一度倒産したあとは経営権が二転三転することになりましたが、1999年にVWグループの一員であるアウディの傘下に入り、経営も安定しているようです。

 そんなランボルギーニは、1965年のトリノ・オートショーで、シャシーのみのコンセプトモデルとしてお披露目され、翌1966年のジュネーブショーで市販モデルが発表されたランボルギーニ・ミウラと、それに続くランボルギーニ・カウンタックによってスーパーカーのトップメーカーとしての名声を確立することになりました。その量販モデルとしての処女作は、1964年に生産を開始した350GTでした。

 一般的な2座席の後方に補助的なシングルシートを設けた2+1シーターの2ドアクーペですが、そのボディ構成には大きな特徴があります。イタリアのコーチビルダーとして知られたカロッツェリア・トゥーリングが、自らライセンス保有する特殊技術「スーペル・レッジェーラ」(superleggera=伊で超軽量の意)方式で組み上げられていたのです。

 スーペル・レッジェーラ方式とは、細い鋼管でボディ枠組みを架装し、その上からボディ外販となるアルミパネルをリベット止めしてボディを構築するというもの。一見するとスペースフレームのように思えますが、スペースフレームが独立したフレームを持っていないのに対して、スーペル・レッジェーラでは独立したフレームを持っているのが最大の相違点となっています。また鋼管とアルミパネルが接触してしまうと異種金属接触腐食が進行してしまうために、フレームと外販パネルは直接触れ合うことがないよう絶縁紙が挟み込まれていました。

 手の込んだ製作過程で誕生したボディに組み込まれたサスペンションは、前後ともにコイルスプリングで吊ったダブルウィッシュボーン式の4輪独立懸架となっていて、ブレーキも前後ともにサーボ付きのディスクブレーキが奢られていました。搭載されたエンジンはバンク角60度のV型12気筒で、ライバル(当所はまだまだ雲の上の存在だったかもしれませんが)のフェラーリでさえもシングルカム(SOHC。V型なので2カム)だったのですが、ランボルギーニでは早くもツインカム(DOHC。V型なので4カム)を採用。

 排気量は3464cc(ボア×ストローク=77.0mmφ×62.0mm)で、キャブレターを各バンクに3連装した6キャブでチューニングし、最高出力は320psを発揮。この数字は、350GTが発売された当時としては、4L V12エンジンを搭載して極少数が生産されていた、フェラーリ400スーパーアメリカの340psに次ぐ数値となっています。3L V12エンジンを搭載していた当時のフェラーリのフラッグシップ、250シリーズの280psを大きく凌ぐもので、ニヤリとするフェルッチオや、苦虫を嚙み潰して悔しがるエンツォの顔が目に浮かぶようです。

 もっとも350GTがリリースされた翌1964年には、フェラーリもトップレンジの250を、3.3L V12を搭載する275にブラッシュアップし、さらに4L V12を搭載する330、4.4L V12を搭載する365と、矢継ぎ早に新車を投入しています。

 ちなみに、ランボルギーニもこれに呼応するように1966年には4L V12を搭載するミウラP400をリリースし最高出力350psを謳いあげるのですが、フェラーリは1968年に4.4L V12ツインカム(DOHC。V型なので4カム)を搭載した365GTB/4デイトナをリリース。こちらは最高出力352ps(!)を公表し、パワーウォーズの勝利を高らかに宣言することになりました。

カロッツェリア・トゥーリングの活動休止とともにモデルライフが終了

 350GTを1963年にリリースし、メーカーとしての第一歩を記したランボルギーニは、次なる一手としては350GTのアップグレード版を用意することになりました。それが1966年にリリースされた400GTです。これは350GTの後継モデルではなく、アップグレード版。

 それが証拠に、400GTがリリースされたあとも、350GTは1967年まで継続して生産されています。そんな400GTと350GTの一番の相違点はエンジンです。350GTは3464ccの60度ツインカムV12を搭載していましたが、400GTでは排気量を3929cc(ボア×ストローク=82.0mmφ×62.0mm)にまで拡大し、最高出力も330psに引き上げられていました。またトランスミッションは350GTではZF製でしたが400GTではランボルギーニのオリジナルに変更されています。

 ボディも基本的には350GTと同様でカロッツェリア・トゥーリングで製作されていますが、外販パネルが350GTのアルミパネルからスチールパネルに変更されていて、ヘッドライトも350GTの2灯式から400GTでは4灯式に変更されていました。またホイールベースを100mm、全長を140mm延長し、全高を50mm高くした400GT 2+2がラインアップされているのも400GTの大きな特徴です。

 400GTと400GT 2+2の具体的なボディサイズ(全長×全幅×全高)とホイールベースは、400GTが4500mm×1730mm×1220mmで2450mm、一方の400GT 2+2は4640mm×1725mm×1270mmで2550mmとなっています。350GTと同様にカロッツェリア・トゥーリングがボディ生産を担当し、1966年の登場から1968年までに23台の400GTと224台の400GT 2+2が生産されました。

 多くのメーカーが車体の製造まで社内で行うようになったことから、カロッツェリア・トゥーリングは苦境に立たされることになりました。そして1966年の12月末日をもって活動を休止することに……。彼らが活動を休止したことによって、400GTの生産は1968年で終了しました。

 そして同年のジュネーブショーで発表されたイスレロが後継モデルとなっています。3929ccの60度ツインカムV12を搭載する2+2シーターの2ドアクーペというコンセプトは400GT 2+2と同様ですが、イスレロはスタイリングが一新されていました。350GTや400GT、同2+2は個性的なスタイリングも大きな特徴でしたが、イスレロはヘッドライトがリトラクタブル式とされるなど、ある種没個性的でした。

 それでもフェルッチオ・ランボルギーニが自らデザインしたスタイリングは、ランボルギーニのファンからは熱視線が送られていました。カロッツェリア・トゥーリングに代わって小規模なカロッツェリア・マラッツィが製作を担当することになりましたが、2年間で225台が生産されていて、400GT 2+2と同等の販売実績が記録されていることからも、その人気の高さは伺えます。

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