ライトウェイトスポーツの傑作「スピットファイア」60周年を祝福
航空機ファンにとって「スピットファイア」といえば、第二次大戦のバトル・オブ・ブリテンで活躍したスーパーマリン社製の戦闘機だが、自動車趣味人が真っ先にイメージするのはスタンダード・トライアンフ社が1962年にデビューさせたライトウェイトスポーツカーのほうだ。
身近に楽しめるスポーツカーとして進化した「スピットファイア」
デビューから60周年を迎えたトライアンフ・スピットファイア初期モデルの正式なモデル名は「スピットファイア4」で、末尾の「4」は、搭載していた排気量1147ccのOHVエンジンが直列4気筒だったことに由来する。販売が好調だったので、1965年にエンジンの最高出力を63psから67psに向上させた「Mk-II」へと進化。Mk-IIが登場した時点で、初代が「Mk-I」と呼ばれるようになった。
その後、1967年にエンジンの排気量を1296cc、最高出力を76psとし、主要な輸出先であるアメリカの安全基準に合わせてバンパーの位置を高めた「Mk-III」へと進化。1970年にリヤまわりのスタイルが変更された「Mk-IV」に発展している。
スタンダード・トライアンフ社は1961年にレイランドの傘下となり、さらに1968年にBMCとレイランドが合併したことにより、ライバル関係だったスプリジェットと同門になってしまった。同門になるとパーツの共用が始まるのが自動車業界の常で、1974年にスピットファイアの最終発展型として登場した「1500」に搭載された排気量1493cc、最高出力72psというスペックの直列4気筒OHVエンジンがMG「ミジェット1500」に採用され、古くからのMGファンを驚かせた。
1493ccエンジンの採用は排気ガス対策による性能低下を防ぐためであり、走行性能の向上を狙ったものではなかったが、1500は歴代スピットファイアの中で最多となる9万5829台がデリバリーされ、1980年に姿を消した。
4輪を生産するトライアンフ社は1984年に消滅したので、スピットファイア1500は、その終焉を見届けた最後のライトウェイトスポーツカーとなった。いまでも数多くのファンを獲得しているスピットファイアは、18年間で31万4332台が生産されたといわれている。
そしてまた、軽快なスピットファイアとともに数多くのスポーツカー好きを魅了したのが「トライアンフ・ロードスター」(TR)シリーズだ。1952年にプロトタイプのTR1が発表されたこちらは、現在もヒストリックカーラリーに最適な定番モデルのひとつとして知られるTR2(1953年)、TR3(1955年)、TR3A(1957年)、TR4(1961年)、TR4A(1965年)、TR5(1967年)、TR6(1969年)、TR7(1975年)、TR8(1978~1981年)へと発展していった。