チューナーの心に残る厳選のGT-Rを語る【MCR小林真一代表】
何台ものスカイラインGT-Rや日産GT-Rを手掛けてきたチューナーが、そのなかでも思い出深い1台を語る。『MCR』の小林真一代表は、年を取って何かと経験を積んだぶん、今とは価値観が変わる自分に向けて仕上げたR34スカイラインGT-Rを挙げた。「きっとこんな感じが気に入るだろうな」と想像してチューニングを施した異例のケースだ。8年後に還暦を迎えたときに自らが改めて吟味するのが楽しみと語っている。
(初出:GT-R Magazine 145号)
サーフィン一筋時代に出会ったKP61の速さ
クルマが作れて、自ら走れて、セッティングまでこなせてしまうことが最大の強みである『MCR』の小林真一代表。そのイメージからクルマ一筋の人生を歩んできたのかと思いきや、意外にも走りにのめり込んでいったのは23歳からだというから遅いスタートだ。
「日大の教授でサーフィン部の顧問だった叔父の影響で16歳から波乗りに夢中で、雪が降っていてもボードをカリーナバンに載せて、千葉の千倉まで通っていました。本気でプロになろうと思ってたんです」と小林代表はサーファー時代の思い出を話してくれた。
「波乗りの練習のために始めたスケボーは、上達が早くて仲間からチヤホヤされました。高校生でショップの看板ライダーをやってたんです」
当時は何をやってもそこそこ上手くいった。のめり込みやすい性格だからだろう。でも“そこそこ”の先には行けなかった。サーフィンにしても海が近いから有利な地元連中には、あと一歩のところでどうしても敵わない。それでも千葉の海沿いに引っ越してまで上手くなろうとは思わなかった。面倒だからだ。
「そういうところが甘いんです。何をするにも努力はそこそこで“アイツができるなら俺だって”という考えでした。世の中をナメていたんです」と厳しく当時の自分を振り返る。
クルマに興味を持つきっかけは千倉に向かう鴨川有料でとてつもなく速いクルマに抜かされたことだ。
「カリーナバンの横につかれたと思ったら一瞬で見えなくなって、世の中には凄いやつがいるもんだと思いました。たしかKP61スターレットでしたね」
クルマにのめり込み夜な夜な走り込んだ時代
そんな出来事をサーフィン熱が冷めて空調の仕事に精を出している時期に思い出し、走りを楽しめるクルマが欲しくなった。そのころに会社から独立して小林工業を起ち上げた。仕事が順調で金銭的に余裕が出てきたことも関係があるだろう。
「買ったのはEP71スターレットの韋駄天ターボ。当時から人気だったAE86よりも、軽くてターボも付いているから速いだろうと思って決めました。ハチロクを選ばなかったことでもクルマに疎かったことがわかるでしょ」
それが23歳というわけだ。30年近く前になる。やはりのめり込んで、走りはみるみる上達していったという。EP71ではモノ足りなくなり、AE92トレノのスーパーチャージャーに乗り替えた。さらにHKSのツインチャージャーキットまで導入。取り付けたのは小林代表だ。作業も見様見真似でそこそここなせた。
「AE92は気合いの入れ過ぎで、ドライブシャフトがねじ切れてしまいました」
そして次に手に入れたのがガンメタのFC3S RX-7。24歳のころだ。
「このクルマでは週3回は走りに繰り出しました。走ってはエンジンを壊して自分で整備書を片手に直していました。どうしてもわからないことはRE雨宮の雨さんやアクティブの孝三さんに聞きに行きましたね。親身になって教えてくれたことは、今でも感謝しています」
ロータリーはサイドポートを広げるなど、かなり突っ込んだ部分にも手を入れた。作業は自分の会社の資材置き場として借りている大きな倉庫で行っていた。噂を聞きつけてやってきた仲間のクルマもチューニングしていた。もはや本業よりもクルマにのめり込んでいる。サーフィンとは違って、“そこそこ”の先にいく努力を惜しまなかった。あのころの甘さは微塵も感じない。ライバルに勝つためにクルマ作りもドライビングも真剣に考えた。その原動力は「サーフィンと違ってクルマなら食っていける」という至って現実的なことだと小林代表はそっと教えてくれた。
RX-7ではかなりのレベルで走っていたが、どうしてもR32スカイラインGT-Rには勝てなかった。それは27歳でR32のV-specを手に入れるまで3年間も続くことになる。V-specに乗り替えて、それまでの無念を一気に晴らした。
GT-Rに乗るようになってからは、ますますチューニングや走りの魅力に惹かれていった。そして大胆にも小林工業を工具からクルマも含めてそっくり丸ごと若い従業員に譲って、仕事をクルマ1本に絞り込むことを決断。
こうしてMCRは正式に活動を開始する。小林代表が28歳のときだ。
「速いクルマよりもいいクルマ作りを目指しました。いいクルマは人によって違います。好みや走るステージを鑑みて、その人に合ったクルマ作りを心掛けてきました」