ドライビングに“自由が利く”ことが大きな特徴を持っていた
今では圧倒的多数派となった前輪駆動車ですが、国内主要メーカーで初めて前輪駆動車を製作したのはスズキ(当時は鈴木自動車工業)で、1955年に発売した軽自動車のスズライトがその先駆けとされています。そして1960年代後半にはSUBARU(当時は富士重工業)がスバル1000をリリース。そしてホンダがN360をリリースするなどし、1970年代には一層、普及が本格化していきました。
三菱の前輪駆動第1号となったのは今回の主人公である三菱ミラージュですが、メカニズム面ではさまざまな新機軸が盛り込まれていました。そんなミラージュを振り返ります。
エンジンの回転方向を修正するための副変速機が大きな武器に
フィアットで長年にわたって技術系重役を務めたダンテ・ジアコーザさんが、1969年に登場させたフィアット128(とそのパイロットモデルとなった1964年のアウトビアンキ・プリムラ)で実践した前輪駆動における4気筒エンジンのパッケージングは秀逸でした。それ以降は“ジアコーザ式”として世界中のメーカーが採用することになり、自動車史上に残る大きなエポックとなっています。
国産車では、ホンダが軽乗用車のライフで採用していましたが、これは2気筒ですから、翌1972年に、やはりホンダがリリースした4気筒エンジンを搭載したシビックが、国内における“ジアコーザ式”の嚆矢とされています。
左ハンドルのフィアットなどではボディの右サイドにエンジンのフロントが来るようにマウントされていましたが、右ハンドルのシビックではフィアットなどとは反対向きにエンジンがマウントされていました。
これはエンジンとトランスミッション(正確に言うとデフと一体式となったトランスアクスル)の重量差を考えれば至極当然なレイアウトでしたし、大きなエンジンよりも小さなトランスミッションの方がドライバーの足元スペースをより広く獲得できるというメリットもありました。
ただし、そうなるとエンジンの回転方向が気になりますが、シビック専用に開発したエンジンだったため、当初から逆回転となるように設計されていました。これに対して三菱で最初の前輪駆動車となったミラージュは、ランサーに搭載されていたオリオンG11Bユニットが基幹エンジンとされていたので、逆回転にコンバートするのはもってのほかでした。
そこで三菱の技術陣が考え出したのが、ギヤをひとつ組み合わせることでエンジンの回転方向を逆転させるというものでした。しかも、単にアイドラーを加えるのではなくこれを2段式の副変速機としていたことです。ですから主変速機は4速のマニュアルミッションでしたが4×2で前進8速のトランスミッションとなったのです。
じつは筆者がサラリーマン時代に会社の社用車としてミラージュがあり、まるでマカオGPで片山義美さんがそうだったように(って、これは自分で見た訳ではないが……)編集部の先輩が4×2速ミッションを使いこなしていたのを記憶しています。
ミラージュは、三菱の小型乗用車としては初となる前輪駆動で2ボックススタイルのハッチバックですが、副変速機を組み込んで4×2=8速となる変速システムをはじめ、さまざまな新機軸が盛り込まれていました。4輪独立懸架も三菱としては初採用です。フロントのマクファーソン・ストラット式は、それまでにも多くのモデルで採用してきましたが、リヤのトレーリング・アームをコイルスプリングで吊るタイプの独立懸架は初採用でした。
当初の1400GLSでもそのハンドリングには定評がありましたが、1600GTではフロントのスタビライザーを1mm大径の20mmφとし、リヤにも新たにスタビライザーが追加されています。さらにスプリングレートやダンパーの減衰力も高められていて、ベースモデルとしてのポテンシャルが引き上げられていました。
クルマのキャラクターとしては、ハイパフォーマンスを追求するというよりも前輪駆動の悪しき癖が見受けられず、ドライビングに“自由が利く”ことが大きな特徴となっていました。そしてそのことが、結果的に1979年のJAF全日本ラリードライバー選手権で圧倒的なパフォーマンスを見せつけることに繋がっていきます。