当時は受け入れられず不人気モデルだった
昔、ビートで幌を畳んでドライブしていたときに助手席にいた娘が「クルマは動く個室っていうけど、ビートって個室じゃなくて、半分アウトドアだよね」と言ったことがありました。それを今では「ビートは半分アウトドアだったけど、ほとんどアウトドアのクルマもあるんだよ」と付け加えればよかった、と思い返しています。その“ほとんどアウトドア”なクルマが今回の主人公。ホンダが1970年にリリースしたバモスホンダです。
それまでの常識を超越して理解不能で“型破り”なクルマ
軽トラックのT360とスポーツカーのS500で自動車メーカーとしての名乗りを挙げたホンダは、1967年の3月にリリースした軽乗用車、N360で4輪マーケットに本格参入しています。すでに軽乗用車としてトップセラーとなっていたスバル360などライバルは少なくありませんでしたが、高いパフォーマンスと廉価な価格設定で、発売開始早々にスバルなどのライバルをかわして軽乗用車のトップセラーとなっています。
高いパフォーマンスは搭載するエンジンの出自からも明らかです。N360が搭載していたエンジン=N360Eは、当時ホンダの2輪で最高峰に位置付けられていたCB450用の空冷並列2気筒ツインカム・エンジンに倣ったもので、シングルカムにコンバートされていましたが354㏄(ボア×ストローク=62.5mmφ×57.8mm)から31psを絞り出していました。
ライバルは20ps程度でしたから、そのパフォーマンスは圧倒的でした。一方廉価な価格設定は31万3000円(狭山工場渡し)とされ、40万円前後だったライバルの多くを圧倒していました。その後ホンダはN360のバリエーションとして、3カ月後の1967年6月にはライトバン(商用車)のLN360を、さらにその5カ月後の1967年11月にはキャブオーバー・スタイルのトラックのTN360をリリースしています。
このTN360はN360のエンジンをベースにしたTN360Eを、リヤアクスルの直前に、シリンダーブロックがほぼ水平になるように搭載していました。エンジン排気量はN360Eと同じく354㏄で、最高出力は若干引き下げられて30psとなっていました。
そんなTN360をベースに開発されたモデルが、1970年の10月に発売されたバモスホンダです。メーカーが新車発売などに際してはリリースと呼ばれる案内文を発表します。しかし、その際には新たに販売するクルマが、例えば乗用車であるのか商用車であるのか、あるいは乗用車ならセダンなのかクーペなのか、あるいはハッチバック車であるのかなども発表されるのが一般的ですが、バモスホンダの発売リリースには「あらゆる用途に巾広く機動性を発揮する、画期的なくるま」とありました。
また「乗る人のアイデアによって、用途の範囲が無限に拡がる車」で「特に警備用、建設現場用、工場内運搬用、電気工事用、農山林管理用、牧場用、その他移動を ともなう屋外作業、配達など機動性を特に必要とする仕事にピッタリの車」とされていました。
つまりバモスホンダを、どうカテゴライズすべきかホンダ自身にも明確で確固たる方針がなかったのでしょう。もっとも、バモスホンダが発売された1970年当時、カジュアルなハードトップやクーペも存在していましたが、乗用車と言えば大半が3ボックスのセダンでした。
また商用車と言えばバンやトラックと明確にカテゴライズされていました。ただし軽自動車に限って言うなら1970年の4月にはスズキが本格的なクロスカントリー車「ジムニー」を発売し、ダイハツからもビーチカーとでも呼ぶべき「フェロー・バギー」が台数限定で発売されています。
そうした状況で登場したバモスホンダは、ジムニーのようにクロスカントリーとしての走破性を持っているわけでもなく、また映画のヒットなどで知られるようになったデューンバギーとルックスが似ているフェロー・バギーとも違って、何とも形容し難いスタイリングの持ち主。なかなか市場で認知されることがありませんでした。
生産計画としては輸出も含めて月産2000台と謳っていましたが、実際には苦戦することになってしまいました。N360も型破りでしたが、それでもライバルを圧倒する高いパフォーマンスと廉価な価格設定と、セールスポイントが十分に理解されて、好調な販売実績に繋がりましたが、バモスホンダの場合は理解されなかったのです。