90年代から日本を席捲したミニバンブーム
昔々……と言ってはいささか大袈裟だが、かつて日本にはミニバンのムーブメントがあった。筆者も交通タイムス社から発刊された『アクティブビークル』、『ミニバンフレックス』、『ワゴニスト』といった雑誌をさんざん手伝い、そのころはミニバンに乗って箱根や河口湖方面にロケで足しげく通った。
国産自動車メーカー各社や輸入車メーカーが開催する試乗会にも、本当に何度もその都度出かけたから忘れようにも忘れられない。時にはフル定員乗車の取材もあったものの、たいていは3列シートの多人数乗車のミニバンにたったひとりで試乗するパターンが多く、空気とともに走らせて寂しい思いをしながら、いかにファミリー向けの楽しげなレポートを仕上げるかに腐心していたものだ。
乗用車的なミニバンのルーツのひとつが三菱「シャリオ」
そうしたミニバンのムーブメントのキッカケになったのは、1994年のホンダ「オデッセイ」の登場だった。すぐさまトヨタが1996年に「イプサム」で追いかけ、あれよあれよとブームになった。それまではいわゆるキャブオーバー型のワンボックス派生がベースだったが、オデッセイは当時のセダンのアコードをベースとした乗用車派生の新しいミニバンとして登場。快適性も高く、広くユーザーの心を掴んだのだった。
……などと書いておきながら、本稿の主題はじつはオデッセイではない。多人数乗車の乗用車的なミニバンとみなせば、初代オデッセイよりもさらに10年以上早く世に出た、日産「プレーリー」(1982年・初代)と三菱「シャリオ」(1983年・初代)があった。
プレーリーは箱形のスタイルでBピラーをなくした広いドア開口が売り。一方のシャリオはオーソドックスな前後ヒンジ式ドアを採用。三菱車らしくインパネに傾斜計を備える4WDなども設定し、走りもアピールした。この2車のうちプレーリーは1988年に2代目に進化するも、1995年に初期のワンモーションフォルムを平凡な水平のボンネットに変えたことで、やや残念なクルマのポジションに。
洗練されたデザインで人気を博した2代目シャリオ
かたや(ここでようやく本題となる)シャリオは、まだ初代オデッセイが姿を現す前の1991年になると2代目に進化。このモデルが次の「シャリオグランディス」が登場するまでの間、歴代シャリオのなかではもっとも人気を博したモデルだった。
もともと開発は並行して行われていたはずだが、2代目シャリオ登場の少し前に、「RVR」がデビューを飾っていた。RVRはいわば2代目シャリオのショートホイールベース版といったモデルで、「ライトデューティRV」を謳い文句に、ワゴンとオフロード4WDの特徴をあわせ持った、スポーティなキャラクターのクルマである。そのRVRを尖兵として登場した2代目シャリオもまた、初代以上に洗練された内外観デザインで衆目を集めたのだった。
今からすると信じられないが、おおらかに見えるスタイリングは全幅を1695mmとした5ナンバーサイズで、RVR+200mmの2720mmのホイールベースと4515mmの全長(一部仕様は4490mm)のなかで、フルフラットから、2〜3列を折り畳んだラゲッジパターンなど、多大なシートアレンジを可能にしていた。