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「ミウラ」がついに「ラ フェラーリ」を超えた! 3億5000万円のランボルギーニは特別な「SV」でした

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TEXT: 山崎元裕(YAMAZAKI Motohiro)  PHOTO: Courtesy of RM Sotheby's

スーパーカーの祖先「ミウラ」

 1966年のジュネーブ・ショーで公開されてから、7年間という期間でわずかに762台のみがサンタアガタ・ボロネーゼの本社工場を後にしたランボルギーニ「ミウラ」。このミウラはマイナーチェンジによって、各々「P400」、「P400S」、「P400SV」の3モデルに大別することができるが、今回紹介するのは、RMサザビーズのロンドン・オークションで大きな話題を提供してくれた、「グランツーリスモ・コレクション」から出品された「P400SV」である。生産台数は150台のみ。その希少性の高さは広く知られており、それがオークションでの値上がりの理由のひとつとなっている。

情熱が作り上げた1台

 ランボルギーニ、正確には「アウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニ」社の設立は1963年のことであるから、ミウラのファーストモデルが誕生するまでには、わずか約3年の時間を要したにすぎない。会社を設立した当初のフェルッチオはスーパースポーツよりも、高性能で豪華なGT(グランツーリスモ)をそのプロダクトとして望み、スーパースポーツには一切の興味を抱いてはいなかった。

 だがこの新興勢力であったランボルギーニに集まった、ジャン・パオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァーニ、あるいは最初にV型12気筒エンジンのプロトタイプを設計したジョット・ヴィッザリーニといった若くパッションに満ちあふれたエンジニアは、フェラーリに対抗するスーパースポーツをランボルギーニから世に送り出すことを夢見て、ひたすら開発に没頭したのだった。

 その最初の姿として公開されたのは、シャシーとV型12気筒エンジンを横置きミッドシップしただけの「TP400」である。ボディを持たないそれは1965年のトリノ・ショーで大きな話題を呼び、結果ランボルギーニはそのボディデザインを、当時ベルトーネに招かれたばかりの、こちらも若きデザイナー、マルチェロ・ガンディーニに委ねたのだった。

 彼の発想は斬新で、他車からインスピレーションを受けることはほとんどなかった。しかしランボルギーニのスピリットアニマル、すなわち闘牛から影響を受けていることは確かで、闘牛の角をモチーフにしたドアなどに巧みに表現されている。左右両側のドアを同時に開けば、彼の狙いも十分に理解できるはずだ。

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