チューナーの心に残る厳選の1台を語る【Kansaiサービス 向井敏之代表】
数字では表せないフィーリングを何よりも重視して仕上げていく。そのために活用しているのが莫大なデータだ。それが貴重なノウハウとなって、30年経っても色褪せない1台を生み出したのだ。
(初出:GT-R Magazine 147号)
農道でのタイム計測こそが現在のデータ蓄積の原点
理詰めのチューニングで定評のある『Kansaiサービス』の向井敏之代表。裏付けを得るためには手間暇を惜しまず、徹底的に追求する姿勢を頑なに貫いている。
「宮大工の祖父の影響がすごく大きいです。とにかく頑固で礼儀作法に関しては厳しく躾けられました。保育所に通っているころから、タイミングが合うと奈良のお寺の修理に連れて行ってもらえたんです。屋根裏など普通は入れない場所で飽きずに修復作業を見ていました。子供心に祖父の仕事に対する熱い想いを感じましたね」と当時を振り返る向井代表。今でも鮮烈に覚えているエピソードが祖父の名前入れだ。
「修繕を終えた場所の端に、筆で名前を書くんです。何をしているのか尋ねると、自分が責任を持って仕上げた証を残していると教えてくれました。何十年、何百年後にその部分を見て、あの人は良い仕事をした、と言ってもらうためなんです。それには幼いながらにも心を打たれました。この精神は自分なりに、今でもずっと受け継いでいます」
小さいころから機械仕掛けの物を見ると、すぐに分解して中身を確かめていた。しかもバラした順番がわかるようにして、分解後には元通りに組み立ててしまう。だから両親は怒らない。壊しているわけではないからだ。目覚まし時計やラジオなど本体の裏側にあるネジを見つけては緩める。その流れで祖父がお寺に通うカブもバラしてしまった。無謀にも思えるが、ちゃんと部品の汚れを落としてから組み付けていったので、調子がすこぶる良くなった。
「そのころからバイクやクルマに対する興味が湧き出し、分解して組み直すときにひと手間かける。その効果を実感することが楽しみでした」
3月生まれの向井代表は高校生になってもすぐにはバイクの免許が取れない。バイクで走り回る仲間が羨ましくてたまらなかった。そんなときモトクロスのレース場なら免許がなくても走れると知り、90㏄のオフロードバイクを中古で購入。モトクロスに明け暮れた。もちろんバイクはブレーキからエンジンまですべて自分でバラして整備していた。
小さいころと違って今度は分解したときの状態や変更箇所を細かく記録して、その効果も記載。乗り味の感想ばかりでなく、数値として確認できるようにテストまで行った。真っ直ぐな農道で50mを測り、通過するタイムを計測する。ストップウォッチは高校の備品をそっと拝借。測定は1回きりではなく、5回の平均を出して判断するあたりに向井代表らしさがうかがえる。
「HKS関西サービス」が誕生
高校卒業後はカーショップを経て、27歳のときにチューニングショップ『ツインパワー』を立ち上げる。
「そのころからHKSパーツを頻繁に活用しており、取り扱った数の多さから、HKS奈良をやってほしい、と打診されたんです。こちらとしては自由にチューニングをしていきたいので断りました。それでも諦めないHKSに断られるように仕向けるため、HKS関西ならやってもいい、と無茶な条件を出したんです」
ところが無茶な条件が通った。
「HKS関西でもいいからやってほしい」というわけだ。もう向井代表は後には引けない。2年間活動したツインパワーをHKS関西サービスへ社名変更した。それが昭和59(1984)年のこと。名前は現在のKansaiサービスに変わる2010年まで続くことになる。ちなみにHKSは点火パーツにツインパワーと名付けて最初のショップ名を残してくれた。
向井代表のチューニングへの取り組みは、高校時代にバイクで行っていたこととまったく一緒。作業内容を細かく記録してその効果を残す。農道でのタイム計測がシャシーダイナモでのパワーチェックや、サーキットでのタイム計測に変わっただけだ。それはデモカーばかりでなくユーザーカー1台1台に対してもくまなく行って作業カルテに書き記す。莫大なデータは向井代表にとっての財産だ。どんな作業をしたかだけでなく、トラブルからその対策まで入念に残しておく。データの積み重ねが次の発展へと導いてくれる。