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ドイツのナショナルカラーは「シルバー」ではない? イタリアン レッドのメルセデスにまつわる政治的配慮とは

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循/Mercedes-Benz

1924年の「タルガ・フローリオ」で圧勝したメルセデス

 今回ご紹介するのは1924年4月27日に開催された第15回タルガ・フローリオに出場し、みごと優勝を果たしたメルセデス・インディである。優勝したレーサーはメルセデス・チームのワークス・ドライバー、クリスティアン・ヴェルナー。チームのエース・ドライバーであったヴェルナーは1922年のタルガ・フローリオにも参戦、この年は8位で完走を果たしている。翌1923年にはアメリカのインディ500にも挑戦、こちらでは11位で完走を果たす。このときにヴェルナーが駆ったメルセデスのインディ・マシンはレース後にふたたび欧州に戻り、彼は翌1924年のタルガ・フローリオにその個体で出場することなった。

 島内1周108kmのコースを4周、トータル432kmのレースでヴェルナーは安定した速さを見せ、アルファ ロメオ、フィアット、イターラなどの地元イタリア勢、プジョーやイスパノスイザなどのライバルを抑えて優勝。タイムは6時間32分37秒4、平均速度は66.017km/hというものであった。また、ヴェルナーは当日のファステスト・ラップも記録している。

 ちなみにこの日、シシリー島では「コッパ・フローリオ」という別のレースも開催されており、ヴェルナーはこちらにも「ダブルヘッダー」で出走。このレースでも優勝を遂げており、メルセデス・チームとヴェルナーにとってはまさにアウェイでの完全勝利の1日だったと言えよう。

わざわざマシンを白から赤に塗り替えた理由は……

 ヴェルナーが駆ったメルセデスの#10、タルガ・フローリオ優勝車はミニカーにもなっている。こちらはドイツのCMCというブランドの1/18スケールのモデル。同社の製品は「量産ミニカー」としては最高レベルの再現度で知られるがこちらもその例に漏れず、さまざまなマテリアルを組み合わせたディテール表現は見事だ。同じレースで15位で完走を果たした#23、10位完走の#32のバリエーション・モデルもリリースされている。

 しかしあらためて見ると、ご覧のとおりマシンのボディ・カラーは赤である。これは#23、#32も同様だ。この時代、本来ならばメルセデスのレーシング・マシンはナショナル・カラーの白のはず。実際、前年のインディ500ではこの個体は白いボディ・カラーで参戦している。

 メルセデス・チームが白を捨てて、イタリアのナショナル・カラーである赤いボディでタルガ・フローリオに参戦したのは、第一次世界大戦後のイタリア国民の対独感情に配慮して、とも言われている。ドイツとイタリアが戦争で敵味方に分かれて戦っていたのはほんの数年前。地元イタリアの人気イベントで「ドイツ代表」の白いレーシング・マシンが圧勝したら、国粋主義的なシチリア人の心中穏やかならざるはず……。

 イタリアン・レッドに塗られたメルセデスは、万一の事態に備えた「保険」だったとも言えよう。これもまた、モータースポーツとナショナル・カラーにまつわるエピソードのひとつである。

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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
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