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ホンダ「タイプR」は「NSX」から始まった! 誕生から30年の歴代「赤バッヂ」モデルを振り返ります【前編】

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: Auto Messe Web編集部

シビックタイプR(EK9)

 インテRに続き、1997年に登場したのがシビックタイプR=EK9。

 チューニングの手法は基本的にDC2と同じで、軽量化+パワーアップ+サスペンションの強化。エンジンはリッター116ps=最高出力185psまでチューニングされ、NA1.6リッタークラスでは文句なしの最強レベルといえる。それにクロスレシオ化されたトランスミッションと、10%ほど軽量化されたフライホイールを用意。

 モータースポーツでは、1.6クラスのライバル、トヨタ「レビン」や三菱「ミラージュ」に圧勝。1998年の十勝24時間レースでは、日産「スカイラインGT-R(R33)」を降して、優勝も遂げている。

インテグラタイプR(DC5)

 インテグラの2代目タイプRは2001年に登場。2リッターになったK20Aエンジンは、排気量を生かし、扱いやすいハイパワーに。I-VTECの効果もあって、リッター110psで中低速トルクと高回転のパンチ力を両立させたチューニングが施された。タイヤは17インチにインチアップされ、ブレンボ製のブレーキシステムを採用したのがトピック。シビックに変わり、このDC5でのワンメイクレースも行われるようになった。

シビックタイプR(EP3)

 EP3はDC5の兄弟車として同時にデビュー。エンジンは伝統の1.6Lから2.0LのK20Aに大きく排気量アップ。ボディ剛性も動剛性でフロント65%、リヤ70%、静剛性は曲げが20%、ねじりが80%も強化されている。

 DC5との違いでは、DC5が国内生産だったのに対し、EP3はホンダUKで作られていたのがひとつ。サスペンションもヨーロッパテイスト(ロール軸がフロント下がり)を取り入れ、ブレーキも片持ちキャリパーをチョイス。

 ブレンボ製のDC5とスペック上の違いは大きくうつったが、EP3のキャリパーは同じ片持ちのNSXのものより大きいホンダ最大のキャリパーだった。またシフトレバーがフロアではなく、ダッシュから生えていたのも大きな特徴。

NSX-R(NA2)

 初代からちょうど10年後、2002年に現れたのが2代目NSX-R。「あらゆるサーキットで、クルマの持つ性能を最大限に発揮する」というコンセプトで開発され、クルマとしての操縦性の質、すなわちコントロールクオリティをいかに高めるかをテーマに開発が進められた。

 一番の注目点は本格的な「空力操安」へのチャレンジ。カーボンパーツを多用し、市販車では困難と言われた空力チューニングによるマイナスリフトを達成。高速域のスタビリティと限界を高めるエアロダイナミクスをものにした。

 タイプRの歴史は、大きく分けるとここまでが前編となる。まず魅力的なベース車があり、それを軽量化、エンジンの高効率化、そしてサスペンションチューンという、王道ともいえる手法でパフォーマンスアップ。チャンピオンシップホワイトとレッド「H」のエンブレムに象徴される、「タイプR」ブランドが確固たるものとして定着したのがこの時期だ。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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