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およそ8000万円! 「カウンタック」ほど純白が似合うスーパーカーはない! 内外装ホワイトの「LP5000S」がクールすぎます

ランボルギーニ カウンタックLP5000Sのリヤスタイリング

1988年から倉庫に眠っていた1台

「ミウラ」の成功によって、スーパースポーツカー メーカーとしての認知度を世界的なものとしたランボルギーニ。ミウラはファーストモデルの「P400」から「P400S」、「P400SV」へと進化を遂げ、1970年代を迎えることになるが、このころになるとランボルギーニの社内では、後継車に関する議論が積極的に交わされるようになる。

 ミウラのプロジェクトでチーフ・エンジニアの職を担ったジャン・パオロ・ダラーラはすでにランボルギーニを離れ、次期モデルの開発を事実上一任されたのはパオロ・スタンツァーニであった。デザインはミウラと同様に、マルチェロ・ガンディーニを擁するベルトーネへと委ねられることになった。

縦置きでミッドシップは現在も継承

 スタンツァーニにとって、次期モデルを設計するにあたりもっとも大きな課題となったのは、V型12気筒エンジンをミウラのように横置きではなく、縦置きでミッドシップすることだった。そのために彼が発案したメカニズム、エンジンと直列に組み合わされるミッションからなるユニットをボディ後方から搭載し、最前部でそのトルクを180度方向転換させてデファレンシャルに送るという仕組みは、結果的にカウンタックのあとも、21世紀に至るまで継承されるに至ったのである。

 一方ガンディーニによって描かれたボディデザインは、これもまた世界中のカーマニアの目を魅了して止まないものだった。1971年のジュネーブ・ショーで最初に公開されたプロトタイプの「LP500」の未来的な造形は、ミウラよりもはるかに衝撃的だったことは想像に難くなく、このカウンタックLP500はいつデリバリーされるのかに世界の注目は集まった。

 しかしながら実際にランボルギーニが最初の生産型、つまり搭載エンジンの排気量を4Lにまで縮小し、冷却のためのさまざまなエアインテークを設けた「LP400」の生産を開始するまでには、ここからじつに2年近くもの時間が必要となったのだ。

現在の新車同様のコンディションを取り戻している

 今回RMサザビーズのロンドン・オークションに、「グランツーリスモ・コレクション」の一台として出品されたLP500S(LP5000S)は、カウンタックとしてはLP400から数えて3世代目のモデルと考えられるモデルだ。デビューは1982年のことで、それから1985年までの間に321台が生産されたとRMサザビーズは語る。

 現在の走行距離は5万2432km。メカニズム面でのもっとも大きな特徴はやはりリヤミッドのV型12気筒エンジンで、LP5000Sからは排気量が5Lに拡大され、前作のLP400Sで絞り込まれていたパワーも、LP400同様375psを挽回している。最高出力、最大トルクともにその発生回転数が低くなり、扱いやすさが高まったのも大きな魅力だろう。

 12675のシャシーナンバーとエンジンナンバーを持つこのLP5000Sは、1984年にサンタアガタ・ボロネーゼの本社工場から出荷され、同年2月にはドイツのハノーバーで登録。1988年にファーストオーナーが亡くなった時点で約5万kmの走行距離を刻んでいたが、その後に娘の名義となってからはほとんど走行することなく倉庫に眠っていたという。

 グランツーリスモ・コレクションがそれを入手したのは2015年12月に開催されたオークションでのこと。2018年には本格的なレストアが始まり、現在の新車同様のコンディションを取り戻すに至ったという。

 RMサザビーズはこのカウンタックLP5000Sに、38万~50万ポンド(邦貨換算約6300万円~8280万円)のエスティメートを提示していたが、最終的な落札価格はエスティメートの上限に近い47万7500ポンド(邦貨換算約7900万円)という結果だった。わずかにふたりのオーナー、マッチングナンバーのエンジン、そして見事な内外装のカラーコンビネーションと、そのコンディション。それらすべてが高く評価された結果が、この落札価格には表れている。

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