残念ながら落札ならず
1984年3月に開催されたジュネーブ・ショーのピニンファリーナ・ブースにディスプレイされていた一台は、瞬く間に世界のフェラーリ・カスタマー、そしてファンの目を魅了する存在になった。
200台の限定生産を計画し、それを達成したあとにはグループBのホモロゲーションを得るという計画で発表されたそのモデルの名は「フェラーリGTO」。フェラーリにとって、1962年から1964年までの期間に39台のみが生産されたとされる250GTOから(排気量を拡大した3台の330LMを含む)、伝統の称号であるGTO(グラン・ツーリスモ・オモロガート)の名を継承した、極めて大きな話題性を秘めたモデルだった。
のちにそのネーミングは250GTOとの混同を避けるため288GTOへと変更されるが、エンツォが当時フェラーリのチーフ・エンジニアを務めていたニコラ・マテラッツィに求めた新型GTOのコンセプトは、極めてシンプルだった。
フェラーリの原点を当時最高の技術で再現した1台
2022年8月24日、その人生を全うしたニコラ・マテラッツィ氏に、筆者はどれだけの時間をインタビューに費やしていただいたのかは数えることはできないほどだ。実際にエンツォから直々に受けたあとに、288GTOとなるモデルのコンセプトには、グループBのホモロゲーションの概念などはなかったと氏は語った。
エンツォが求めたのは「フェラーリの原点を現代の技術で再現すること」。それはすなわち、コンペティツィオーネ(レーシングカー)とストラダーレ(ロードカー)の垣根が存在しないモデルのことであり、マテラッツィ氏はそのコンセプトをもとに、搭載エンジンをはじめとする288GTOのアウトラインをまとめていったのだ。
ピニンファリーナのレオナルド・フィオラバンティと、そのチームに委ねられたボディデザインは、それまでの308系のシルエットをベースとしつつも、よりダイナミックな造形へとディテールが変化し、リヤフェンダーにはかつての250GTOを彷彿させる3条のスリットが刻まれる。
ボディカラーはロッソ・コルサ一色のみの設定だったが、プロトタイプとしても使用されたファーストモデルのみはジャッロ(イエロー)だった。ミッドに搭載されたエンジンは、のちに2.85LとなるV型8気筒ツインターボ。最高出力は400psに達し、これに5速MTが組み合わされた。ちなみにこのエンジンは、のちにランチアのグループCカー、LC2に多くの基本設計を提供していることでも知られる。