オリジナルのオイルパンでオイルの片寄りを克服する
1997年にデモカーをR32からR33に変更。より気合を入れてゼロヨンのタイムアップを狙うようになった。チューニングの内容は、ヘッドをフル加工して腰下はHKSのハイデッキで2.8Lに排気量アップ。カムはIN280度でEX290度のアペックス製Vマックスカムを使う。
サージタンクとエキゾーストは、オリジナルでインタークーラーはトラストの5層。インジェクターはサードの1000ccで、ボッシュの燃料ポンプを2基掛けして対応。HKSのFコンVプロで制御していた。クラッチはHKSレーシングが使っていた4枚ディスク。足はオリジナルでフロントブレーキをアルコンに変更し、ホイールはTE37の10J×17に、ニットーNT555を組み合わせる。
タービンは当初、GT3240をツインで使っていたが、ドラッグで酷使するとボールベアリングが飛び散ってしまう。そこでメタルのTD-06SH25Gに変更した。
「タービンを換えてからは安定して1000psオーバーのパワーが出せるようになりましたが、今度はフルパワーで加速していくと、一気に油圧が下がってエンジンブローを引き起こしてしまいました」
フル加速の勢いでオイルパン内のオイルが後ろに片寄って、ポンプで吸い上げられなくなってしまうのだ。
「原因はすぐに判明したのですが、その対策には難儀しました。今までもエンジンやコンピュータで苦労してきましたが、それ以上でしたね」
ドラッグレースでは、加速Gに加えてクルマの姿勢変化も想像以上に大きい。それらの条件が合わさってオイルが激しく片寄ってしまうのだ。オイルパン内にバッフルを設けたり、容量を増やしたりしたが改善の兆しが見えない。そこでイチからオイルパンを作り変えて対応した。
内部形状を工夫してオイルが片寄らないように試みるも、上手くいかない。良否の判断はフル加速すればすぐにわかる。加速態勢に入って油圧計の針が一瞬高まるものの、そこから見る見る針が下がっていくからだ。そのままアクセルを踏み続けるとエンジンブローが待っている。
内部の構造を変化させて、いろいろ作ってみたが油圧の低下は治まらない。オイルパンの交換はエンジンを降ろさなければならないことも、対策に時間がかかった要因だ。
油圧が確保できるとすぐに好記録を叩き出す
1年以上オイルパン作りに費やしたが、なかなか納得できる成果が得られない。オイルの供給システムをウェットサンプからドライサンプに変更しなければならないかとも考えたが、オイルタンク設置のスペース的にも、費用的にも現実的ではないと途方に暮れた。そんな諦めかけて藁にもすがる気持ちで装着した、オイルパンが苦労を帳消しにしてくれた。
「ついに油圧が下がらないようになりました。フル加速してエンジンが9500rpmになっても油圧計の針は狙い通りに5㎏/cm2ちょっとをキープ。努力っていつかは報われるものなんですね」
油圧が確保できればしめたもの。すぐに8秒9を叩き出した。R33を手に入れて3年後のことだ。目標だった8秒台にも到達して、RB26DETTの弱点も克服したのでドラッグレースからは一旦離れることを決断。パワー最優先のクルマ作りから、楽しさに比重を置いたクルマ作りにも目を向けるようになった。
R33は2005年にスウェーデンのGT-R好きに譲ることになる。しばらくしてそのオーナーから連絡が入った。現地でドラッグレースがあるが、R33を扱い切れないので助けてほしい、という内容だ。ちょうど修理の依頼もあったのでメカと通訳を引き連れて、杉野代表はドライバーとしてスウェーデンへと向かう。
走り慣れた日本のコースとは雰囲気の違う異国の地でのスタートは、気持ちの昂ぶりも一種独特。そんな状況の変化を跳ね除けて、結果は堂々のクラス優勝だ。
「なんとか面目が保ててほっとしました。このクルマには散々苦労をかけられましたが、最後の最後には思いもよらないサプライズまで与えてくれた、思い出の詰まった1台です。まだ体力があり余っているころに手がけたクルマだから、困難も乗り越えられた。出会ったタイミングもよかったんですね」
世話の焼ける子ほど可愛いと言うが、杉野代表にとってこのR33は、そんな子供のような存在なのだろう。
(この記事は2019年8月1日発売のGT-R Magazine 148号に掲載した記事を元に再編集しています)