75年前の英国製スポーツサルーンのドライブフィールとは?
じつは筆者、1990年に法政大学を卒業したOBの端くれ。体育会自動車部とはご縁が無かったものの、当時からいっぱしのエンスーを気取っていたこともあって、もちろんこのジャガーの存在は知っていたし、ほのかな憧れのような感情を抱いてもいた。
また、当時の東京六大学野球リーグで法政大野球部がシーズン優勝すると、神宮球場から市ヶ谷のキャンパスまで優勝パレードが行われるのだが、筆者の在学中にはこのジャガーが先導車として駆り出されることもあり、校歌や応援歌を大声で歌いながらこのクルマの背後をそぞろ歩いた思い出も鮮明に残っている。
とはいえ、のちに自身がここまでクラシックカーにハマる人生を送るとは予想だにしていなかったうえに、自動車部の4年生と一部のOB以外には運転を許さないという不文律を聞いていたこともあって、まさか将来このクルマのステアリングを握る日が来るなんて思いもしなかった……というのが正直なところである。
今回の取材は、法政大学体育会自動車部OB会の完全協力によって実現したもので、当日の試乗も大先輩諸氏が見守るなか行われた。つまりは、かなりの緊張状態のもとクルマに乗り込んだわけだが、幸い筆者はこの年代の英国製クラシックカーにはなじみが深いことから、比較的早いうちに乗りこなすコツを見出せたようだ。
この個体は1938年から追加された上級版「3 1/2 Litre」ということで、エンジンは直列6気筒OHVの3485ccを搭載する。さすが稀代の名作スポーツカー、SS100用ユニットをそのままコンバートしているだけあって、レスポンス・吹け上がりともかなりスポーツカー的にシャープ。決して過度に重くはないながらもミートポイントの探りにくいクラッチと相まって、発進時などには若干気を遣わされる。
しかし、いったん走り出してしまえば3.5リッターのトルクを生かして、荘重なボディスタイルからは想像もできない加速感を体感させてくれる。
この時代のクルマはトランスミッションにシンクロメッシュの備えのない、いわゆる「クラッシュボックス」が一般的だった。しかし、1938年に3 1/2 Litreが追加されて以降のジャガー・マークIVには、2~4速にシンクロ機構のつく英国MOSS社製トランスミッションが標準装備となったおかげで、少なくともシフトアップはスイスイと入る。
ただこの個体は2~3速のシンクロが若干弱り気味なのか、不用意にシフトダウンしてしまうと「ギヤ鳴り」を発生することが判った。それでもすぐに頭を切り替えて、丁寧なダブルクラッチ操作を心がけつつ走らせると、シフトダウンもじつに気持ちよく決まってくれる。
そして、いかにも直6らしい重低音のサウンドを響かせながら、前後ともリーフ・リジッドのサスペンションをもつヴィンテージ期そのままのシャシーと、旧式なカム&レバーのステアリングと格闘するように走らせる爽快感を、思う存分に体験できた。
それは、筆者にとっては30年越しの憧れがかなった瞬間でもあったのである。