六大学野球の優勝パレードでも先導を務めた法政大学所有ジャガー
洋の東西を問わず、クラシックカー人気が高まりをみせている昨今では、自動車専門メディアはもちろん、ライフスタイル系のメディアでもクラシックカーにまつわる記事を目にする機会がとても多くなっていることを、実感されている方も多いかもしれない。
でも、とくに日本のウェブメディアで見られるクラシックカー記事には、実際に現車に触れて走らせる内容のものが、まだまだ少ないとも感じられる。そこでAMWでは、おそらく多くの読者諸兄が思っておられるであろう「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべく、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画を始めることにした。
記念すべき第1回の取材対象として選んだのは、1947年型のジャガー。法政大学体育会自動車部が1966年以来、半世紀以上にわたって管理していることから、関東一円のエンスー界、あるいは体育会自動車部界隈ではとても有名な個体である。
初めて「ジャガー」の名を掲げた記念碑的モデル
法政大学体育会自動車部が長年所有するジャガーは、第二次世界大戦をはさんだ1935年から1949年まで生産された「マークIV」に分類されるモデル。1935年9月のロンドン・モーターショーでデビューした。
ジャガーの前身「SSカーズ」社の製品としては初めて4ドアサルーンが設定されたほか、現在に至る「ジャガー」というブランドネームを初めて掲げたモデルでもある。
ラインアップは1608ccの4気筒サイドバルブエンジンを搭載する「1 1/2 Litre(1.5リッター)」と、ホイールベース/全長ともに延長した車体に、直列6気筒2663ccのエンジンを搭載する上級モデル「2 1/2 Litre(2.5リッター)」の2種類。それぞれ4ドアサルーンのほか、少数ながら2ドアのドロップヘッド・クーペ(コンバーチブル)も設定された。
前任モデルにあたる「SS1」では、主要コンポーネンツを量産大衆車メーカー「スタンダード」社からの供給に頼り、シャシー/ボディのみがSS社オリジナルだった。しかしマークIVの2 1/2リッター版からは、パワーユニットもSS1と同系のスタンダード製直列6気筒サイドバルブエンジンをベースに、エンジンヘッドのスペシャリスト、ハリー・ウェスレイクの協力を得て開発された新型OHVヘッドを組み合わせた、SS専用エンジンが搭載されることになる。
戦前ジャガーの最高傑作として知られるスポーツカー「SS100」とも共通の直列6気筒OHVエンジンは102psを発生。このクラスのサルーンとしてはかなりの俊足となる、138km/hの最高速度をマークした。そして、ジャガーらしく極めて美しいスタイルと、SS1とは一線を画した高性能。そしてベントレーやアルヴィスなど、同クラスのサルーンの半額に相当するリーズナブルな価格が大いに受け、SS1に続く大ヒットを博した。
1938年には、それまで木骨+アルミ/スチール混成構造だったボディが、全金属製になると同時に、直6エンジンを3485cc・125psに拡大した最上級モデル「3 1/2 Litre(3.5リッター)」も追加された。
ところが1939年9月の第二次世界大戦勃発により、在庫パーツによる生産へ移行。また1940年夏には軍需生産への徴用が必至となったため、生産はいったん中止となる。
そして1945年3月、ナチス・ドイツの親衛隊を連想させる「SS」は社名として相応しくないという理由から、すでにブランドとしては知られていたジャガーを社名とした「ジャガー・カーズ」社は、戦後復興の第1弾としてその年のうちにマークIVを復活。当時のイギリスでは国家的命題となっていた外貨(≒米ドル)の獲得にも貢献した。
法政大学のジャガーは1947年型と伝えられていることから、戦後版のマークIVということになるのだ。
75年前の英国製スポーツサルーンのドライブフィールとは?
じつは筆者、1990年に法政大学を卒業したOBの端くれ。体育会自動車部とはご縁が無かったものの、当時からいっぱしのエンスーを気取っていたこともあって、もちろんこのジャガーの存在は知っていたし、ほのかな憧れのような感情を抱いてもいた。
また、当時の東京六大学野球リーグで法政大野球部がシーズン優勝すると、神宮球場から市ヶ谷のキャンパスまで優勝パレードが行われるのだが、筆者の在学中にはこのジャガーが先導車として駆り出されることもあり、校歌や応援歌を大声で歌いながらこのクルマの背後をそぞろ歩いた思い出も鮮明に残っている。
とはいえ、のちに自身がここまでクラシックカーにハマる人生を送るとは予想だにしていなかったうえに、自動車部の4年生と一部のOB以外には運転を許さないという不文律を聞いていたこともあって、まさか将来このクルマのステアリングを握る日が来るなんて思いもしなかった……というのが正直なところである。
今回の取材は、法政大学体育会自動車部OB会の完全協力によって実現したもので、当日の試乗も大先輩諸氏が見守るなか行われた。つまりは、かなりの緊張状態のもとクルマに乗り込んだわけだが、幸い筆者はこの年代の英国製クラシックカーにはなじみが深いことから、比較的早いうちに乗りこなすコツを見出せたようだ。
この個体は1938年から追加された上級版「3 1/2 Litre」ということで、エンジンは直列6気筒OHVの3485ccを搭載する。さすが稀代の名作スポーツカー、SS100用ユニットをそのままコンバートしているだけあって、レスポンス・吹け上がりともかなりスポーツカー的にシャープ。決して過度に重くはないながらもミートポイントの探りにくいクラッチと相まって、発進時などには若干気を遣わされる。
しかし、いったん走り出してしまえば3.5リッターのトルクを生かして、荘重なボディスタイルからは想像もできない加速感を体感させてくれる。
この時代のクルマはトランスミッションにシンクロメッシュの備えのない、いわゆる「クラッシュボックス」が一般的だった。しかし、1938年に3 1/2 Litreが追加されて以降のジャガー・マークIVには、2~4速にシンクロ機構のつく英国MOSS社製トランスミッションが標準装備となったおかげで、少なくともシフトアップはスイスイと入る。
ただこの個体は2~3速のシンクロが若干弱り気味なのか、不用意にシフトダウンしてしまうと「ギヤ鳴り」を発生することが判った。それでもすぐに頭を切り替えて、丁寧なダブルクラッチ操作を心がけつつ走らせると、シフトダウンもじつに気持ちよく決まってくれる。
そして、いかにも直6らしい重低音のサウンドを響かせながら、前後ともリーフ・リジッドのサスペンションをもつヴィンテージ期そのままのシャシーと、旧式なカム&レバーのステアリングと格闘するように走らせる爽快感を、思う存分に体験できた。
それは、筆者にとっては30年越しの憧れがかなった瞬間でもあったのである。